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祖母は髪結いをしていた

こんにちはと初めまして。おすぬです。

66日ライティング✖️ランニングももうすぐ折り返しです。
ちょっと手をつけては行き詰まった下書きがどんどんたまってきました。
また、書く部のマガジンもできて毎回登録させていただいてます。
noteにいろんなご縁ができました。
ありがとうございます。


昔の思い出です。
私が小学校高学年、姉が高校生くらいのときのこと。
ある日、母と姉と私の三人で押し入れを整理していたら、母の昔のアルバムが出てきました。
女学校時代の運動会のブルマ姿とか(笑)お勤め時代の友だちとのピクニック風景とか。もちろんどれも白黒です。

そのとき
アルバムからぺらりと一枚、これまた白黒の写真がこぼれ落ちました。
和服?モンペ?姿の女性。
ハッとするほど母にそっくりでした。
空襲で亡くなった母の母、姉と私からみた祖母でした。

私からしたら「おばあちゃん」だけど、当時の母よりもずっと若く見えました。
ぷくっとした輪郭や表情が母に本当によく似ています。

写真と一緒に茶色く変色したハガキも出てきました。
祖母から疎開先の母に宛てたもので、鉛筆で縦書きの小さな文字で埋められていました。決して達筆ではない庶民の字。もうかなり薄くなっていました。
内容は詳細は忘れましたが元気ですかとか今度〇〇送りますとか。

祖母は髪結いをしていたそうです。
ちょっと粋な響き。
祖父はまさに「髪結いの亭主」です。

少女時代に和裁??か何かの行き帰り、道ゆく人の髪型が気になって気になって仕方がなかったらしいと母が話してくれました。
ただ、髪結いをいつまで、どんなふうにやっていたのかわからないそうです。
日本髪専門だったのかな。それとも洋髪もやっていたんだろうか。

ちなみに日本でパーマの営業が始まったのは1930年(昭和5年)ごろ、1935年(昭和10年)代には大流行になったそうです。
(日本パーマネントウエーブ液工業組合HPより)

祖母のことは話にしか聞いたことがなかったので、この日は姉も私も大興奮でした。母そっくりでとても身近に感じたし、なにより祖母の存在を感じてうれしかったのです。
まるでペラっと写真一枚で会いにきてくれたような。

私と姉のなかではいまでも祖母はちょっとしたアイドルです。
会ったことがないので「おばあちゃん」ではなく「〇〇江さん」と名前で呼んでいます。



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毎回キャプションで遊んでるんですが。。。ツッコミ待ち


それではこれにて。ありがとうございました!

(ライラン32日目)


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