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もっとお婆ちゃんになる前に撮って。と母が言うから、一生撮り続けることにした。

私は、物心ついた時からお母さんがとても自慢だった。友達からきれいなお母さんだね、と言われると「そうでしょ!」と誇らしげに言っていた。

今でも、可愛くて綺麗な自慢のお母さん。私がカメラを買ってまず始めに練習でお母さんを撮ってからというもの、ちょくちょくそれからもカメラを向けていた。


それはなんとなくお母さんも喜んでくれるし良いかな〜と思って撮っていたものだったけど、最近、よりはっきり、お母さんを撮ろうという想いが強くなった。

それは、お母さんが、「今もかなりキてるけど、もっとヨボヨボになっちゃう前に撮ってほしいんだ〜。」とポロッと言った言葉。

当たり前なんだけど、お母さんは、お婆ちゃんになる。(というか、もう孫もいるから実はお婆ちゃんなんだけど。)

ヨボヨボのお母さんを想像すると、それはそれでステキなお婆ちゃんになるんだうなと思う反面、一気に、時間という現実に向き合うことになった。

さらに笑いながら「綺麗な遺影写真がほしい」と言うお母さんに、少しでもお母さんの死を想像した瞬間、涙が出そうになった。

泣くのを堪えて、少しキツめな返事をその時はしてしまった気がする。

この今が、どんなに尊くてかけがえのない時間なのか、一生取り戻せない時間なのか。ふと、気づいてしまった。いや、考えないようにしていたことが突きつけられてしまったのかもしれない。

お母さんは、いつも悩みを溜め込んでしまう容量の悪い私の精神的にヤバイ時に気づいてくれる。というより、私より先に私のSOSに気づいてくれるエスパーだ。

お母さんは、自分の理解者で、相談相手で、友達でもあるし、どうしようもなく、私のお母さんだ。

かなり自分はマザコンだという自覚があるし、お母さんがいなくなったら、と考えるだけで生きる希望が無くなると真剣(マジ)で思っている。

今から未来を嘆いてもしょうがないし、今というものは、今まさに過ぎ去っている。

なら、大好きなお母さんとの時間を残そう。ずっと撮り続けよう。それはなんとなく思ってたことから、決意に変わった。

お母さんはどれだけ年をとっても私は素敵だと思うんだけど、お母さんがそう思わないなら、ずっと素敵に撮り続けて証明していきたい、とも強く思った。

日頃親孝行みたいなものは全然できてないから、自分の少しだけ得意なことで、世界で一番好きな人を喜ばせられるなら、一生懸命やっていきたい。

私は一生お母さんを撮り続けたいと思う。





最近の、私の気に入ってるお母さんの写真。


…と見せかけて、

娘の足のニオイを嗅がされるお母さん。



それではまた。

人っていう字は、サクランボの茎を表しています。