異文化適応について考えてみた

異文化の定義って何?
今日ふと思った。

思い返せば、留学生寮に住みながら運営の仕事を1年間していた中で実感したことがある。
国籍が違えば、自分の常識と相手の常識は異なること。
このことを普段から意識していないと、お互いに自分の価値観が当たり前だから、相反する意見に対して即座におかしい、ありえないと思って攻撃してしまう。
ただなんとなく楽しいだけの国際交流ではなく、生活を共にする密な交流だったからこそ、ここまで実感できたんだと思う。

そのことを理解してからは、仲違いした時は自分の価値観を押し付けず、まず相手の言い分を受け止めるべきだと学んだ。加えて、
「日本では〜だから。」ではなく「私は〜と思う。」という表現を使うように徹底してた。

ここ1年間は留学生ではなく、ほぼほぼ日本人と過ごしている。
先日、価値観の違いからか、友人Aと若干トラブルになった。お互いがお互いの行動に疑問を感じた。

私はふと思った。
国籍や人種に関係なく、日本人同士でも、一人一人が異文化なんじゃないかと。
それぞれバックグラウンドが違うから、独自の価値観が根付いてるし、そう簡単に他人の常識を自分に当てはめることは難しい。

そのトラブルのことを違う友人Bに相談すると、その友人Bはどうやら友人Aの独自の価値観をきちんと見極めて、接する時はその人の文化に合わせているのだという。
つまり、一人一人の文化をよく観察して、自文化をその相手の他文化に合わせて適応しているのだという。

私にはその能力がない。
日本人同士では、まだまだ自分の常識が相手の常識にも当てはまると勘違いしていた。
お互いに考えがちがうという事実を、わかっているようでわかっていなかった。

つまり私はまだまだ異文化適応能力がないということになる。
その友人のように柔軟に適応できる能力を身に付けたい、いや、身につけないといけないと感じた。

改めて今、異文化の定義を考えている。

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ayuming

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