「無駄なことなんてない」が嫌いだった/ラ・ラ・ランド

昔から「無駄なことなんてひとつもない」という言葉が嫌いだった。

いや、あるだろっていう。

今考えるとただのメンヘラだった学生時代、”意識高い”と自認していた僕にとって「ムダナコトナンテ」は、考えることの放棄で、動物への退化で、人生を適当に歩いた人間の言い訳だった。聞くたびに「でたでた」とシャッターを下ろしていたような気がする。

でも先日こんなことがあった。

友人ふたりと映画「ラ・ラ・ランド」について話していた。

僕はすごく感動したのだけど、彼らは最低の映画だったと熱を込めて語る。

「最高なのはミアだけで、セブにとったら最悪の話じゃん!」

たしかにミアは大女優になって、セブは一度掴みかけたピアニストの夢をかなえられなかった。それどころかミアが推した「SEB'S」という名の店を開き、ミアの提案どおりバーにしている。彼女にとっては思い出という無形の文化的遺産でしかないものを、ここぞとばかり有形固定資産にして生きている。たしかにヤバい感は反射的にある。

でも僕は「思い通りにいった数」と幸せってそんなに関係しているんだろうかと、さいきん疑問に思うのだ。

自分も変わったなぁと思う。

さきの友人たちは、勤務先を聞けば誰もが驚くようなエリートで、これからITビジネスで起業する。彼らは思い通りにいった数が人より多いが、これからもそうかと言えばそんなことはないだろうし、その度にそれは「最低の思い出」になったり「最低な今」を呼び寄せるのだろうかと思うと、僕まで不安になってくる。

僕は言いたい。

だって人生、もっと気持ちがよくていいじゃないですか!

たしかに「思い通りにいったー!」には特有の富士山ご来光的な気持ちよさがあるけれど、気持ちがいいことにはもっとたくさん種類がある。

好きな人と春の野原を駆け回ったりしたいじゃない。ダンスや絵画で自分を表現してみることの快感もすごいじゃない。他にも色々あるじゃない。

夢が叶わなかったセブにとって、今の生活が気持ちよくないものだなんて、誰も言ってない。大女優になったミアの生活が気持ちがいいものかも誰も言ってない。

しかも「思い通りにいかなかった記憶」は、また次の人生の意志を育むのだ。「意志」以上に人間を人間たらしめるものはないだろう。

ということでこの映画は「情熱を信じて生き、誰からも目を留められていない季節、互いのファンとなり支え、依存もしあった二人が、再会して見つめ合うなんて……エモすぎ!!」以上の感想、必要ないんじゃないかと思っている。

僕も「一番愛し合った人と、結婚しなくてよかった」みたいな矛盾みたっぷりの深みな恋愛したい。

そして、いつか若い子にドヤついて語りたい。めちゃくちゃ聞いてほしいからこそ「聞いてほしそうさ」は決して匂わせず、自然な対話の流れで語りたい。

「今も思い出すよ」って。

僕はやっぱりラ・ラ・ランドが好きだ。

年末年始、みんな観ような!

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ぅちもやっちゅーねん!(倖田來未)
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Naoki Ota

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