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PRプロデューサー・米澤智子について

はじめまして。
PRプロデューサーで中小企業診断士の米澤智子です。

従業員50人以下で共に東京都以外の中小企業、東京都の伝統工芸産業、フリーランスや起業家の皆様の「外部広報PR室長」として、広報PRコンサルティングとPR代行サービスをご提供しています。

また、経営と広報の専門家として、経営コラムや経営者インタビューなど、これまで50記事以上の執筆機会をいただきました。

執筆実績はこちらから。

これまでの経歴や、なぜ広報PR支援を私がするのか?についてご説明します。

1.社会に出るまで

1985年会津若松市生まれ、横浜育ち。
高校までずっと横浜だったのに、なんか違う世界を見たくなって、大学だけ京都にある同志社大学文学部に入学しました。

大学では体育会居合道部に入部し、部活ばっかりしていました。
居合道についてはこちら

2009年卒、社会に放り出される。

2.地方銀行時代〜ある時計メーカーとの出会い

神奈川県内の営業店に配属され、新人は誰もがやることになる
▶債権回収(つまり、取り立て)
▶創業融資(信用保証協会付き融資)
を担当しました。

創業融資では、新たにビジネスを始めるお客様のワクワクするお話を伺うことができ、楽しい仕事でした。
今も中小企業診断士のお仕事として起業支援をしていますが、ここでの経験が原体験で、「いつか、自分の名前で事業をしたい」と思ったきっかけでもあります。

一方、債権回収は「融資が返せなくなった企業」がお客様です。
当時の亀井大臣が始めた「金融円滑化法」の対応をひたすらやっている毎日。箱根の山奥まで物件調査にいったこともあります。(そしてもぬけのカラだった)

私が担当しているお客様で、時計メーカーさんがいらっしゃいました。国内メーカーのOEMだけでなく自社製品もつくっていましたが、大手企業や中国製の安い製品に市場を奪われ、収益が悪化。元金据置・利息のみ支払いの契約変更を定期的にする、というお客様でした。

この時計メーカーの社長さんは、「広告にお金がかけられないので」ということで、ご自身でHPや、当時走りだったブログをつくり、自社で製造・販売している時計について定期的に発信していました。社長さんは時計作りが本当に大好きな方で、時計に関する知識や熱も豊富。「がんばって売上をあげて、融資を返さないとね」といつもおっしゃっていました。

その社長をどうにか応援できないかと思ったものの、当時の私は経営に関する知識は皆無。元金据え置きの契約をただ更改するという、事務的な仕事しかできませんでした。

今、もしこの社長をご担当できれば、大手や中国産の安い時計ではなく、高付加価値でこだわった時計をつくることや、社長が時計づくりにこめているストーリーをPRするといった支援や助言をするかもしれません。

この時計メーカーとの出会いをきっかけに、「一生懸命がんばっている中小企業のお役に立ちたい」と思い、行内で取得が推奨されていた中小企業診断士の資格を知りました。

一度勉強するものの、難しすぎて挫折。30歳になったタイミングでもう一度チャレンジ。1年間の勉強期間で、幸運なことに一発合格しました。

合格当時は営業店を離れ本部で仕事をしていたため、せっかく中小企業診断士を取得したものの、仕事で中小企業に関わる機会は皆無。

中小企業に近い仕事をしたい、また中小企業診断士と一緒に仕事をしたいと思ったことから、公的支援機関に転職しました。地方銀行には8年勤めました。

3.公的支援機関時代〜副業で経営者インタビュアーデビュー

公的支援機関では、商店街や商店街に属する小さなお店に、中小企業診断士を始めとした専門家を派遣する事業を担当し、2年間で累計約140件の支援に同行しました。

そこで出会ったのは、事業だけでなく「この町を盛り上げたい」というアツい思いを持った店主さんたちです。一つひとつの個人店は小さいかもしれないけれども、商店街として集まれば、大きなことができる。そんな熱量のある店主さんたちとの出会いがありました。

また「取材の学校」を受講したことで、経営者インタビュアーとして活動開始。ライター歴は約3年になり、これまでインタビュー記事20記事以上、経営コラム20記事以上の執筆実績があります。

「企業診断」巻頭特集Umano!
 ㈱コンコルディア・フィナンシャルグループ
代表取締役社長 川村健一さん」(2018年12月号)(共著)

地銀グループトップ(当時)へのインタビュー記事。最も緊張した取材。

その他の執筆実績はこちら。

4.不妊治療開始→投資型クラファン会社→独立まで

中小企業診断士取得後のライフチャート

公的支援機関で充実した毎日を過ごしていましたが、33歳になったころ、私達夫婦はなかなか子供に恵まれなかったため、不妊治療を開始しました。

1年ほど人工授精でねばるものの妊娠できず、2年目からは高度治療へチェンジ。それ以前とは比較にならないほどの通院回数と高額な治療費、ホルモン治療による副作用に悩まされました。

しかも、高度治療にステップアップしようとしたタイミングで残業が最も多い部署に異動になることになり、激務の日々。もちろん副業でやっていた経営者インタビューも受ける余裕がなくなり、不妊治療もうまくいかず、八方塞がりの日々。。。

2020年の9月、仕事と不妊治療の両立が厳しくなった(有給を全部使い切ってしまった)ことから、公的支援機関を退職しました。

そのころに書いたnoteはこちら

数ヶ月フリーランスで細々と仕事を受けていましたが、不妊治療には高額な治療費が必要であり、治療をしているため仕事を思い切って受けることもできず、収入が伸びないことが悩みでした。

そこに、ご縁もあったことから投資型クラウドファンディングの会社に就職することになりました。2021年2月のことです。

ここでは、SDGsの達成を目指す中小企業さんについて、匿名組合契約という仕組みを用いたファンドを作り、共感に基づいた資金調達を行うという仕事を担当しました。主に、私の地元である神奈川県との事業「かながわSDGsアクションファンド」を担当し、2本のファンドをオープンしました。

この仕事では、元々このクラファン会社が大きくなった契機が東日本大震災であったことから、ちょうど震災後10年の節目に陸前高田に行くなど、貴重な体験を多くさせていただきました。

特に、銀行融資が難しい中小企業でも、共感をもとに1000万を超える資金調達に成功し、新たな事業を進めていく事業者さんの力強さにも圧倒されましたし、銀行時代に融資ができなかったような企業さんにも、資金調達の支援ができるのだと、やりがいを感じて業務に取り組みました。

もちろん、自社のサービスを説明するうえで、購入型を始めとした他のクラウドファンディングとの違いを説明しないといけないため、これまでの経験も生かし銀行の融資・行政の補助金・クラウドファンディングと、中小企業の資金調達手段について幅広い知識や経験を得ることにもつながりました。

しかし、営業という仕事柄遠方へ出張することも多く、不妊治療との両立が難しくなったことから、2021年9月に退職。フリーランスの中小企業診断士として生きていくことを決め、独立しました。

独立後の仕事を振り返ったnoteはこちら。

5.なぜ、私がPRプロデューサーをするのか

フリーランスになったあとは、経営者インタビュー記事の執筆や、事業再構築補助金の申請支援のお仕事をさせていただいております。

また、品川区立西大井創業支援センターのインキュベーションマネージャーとして、入居者さんとの1on1や起業イベントの企画・運営を行っています。

私のキャリアが銀行→支援機関→クラファン会社であるため、融資・補助金・クラファンも含めた資金調達に強い診断士さんなんですか?とお声かけいただくことが多いです。

確かに、ご依頼いただくなかでは、資金調達のご相談が多いかなと感じております。しかし、私としてお仕事に最もやりがいを感じているのは、経営者インタビュアーを始めとした執筆、つまり「書くこと」です。

↑支援機関時代に出会った企業さんの記事を企画し、当日の取材から執筆まで担当した記事。社長の思いをどう伝えるか、試行錯誤しながら執筆。

私が銀行員時代に担当した時計メーカーのように、中小企業には必ず、人を引きつけるストーリーや魅力、強みがありますその強みこそ、中小企業が大手に負けない経営力を持つための土台であると、私は考えています。

しかし、中小企業は人的資源が少ないことから、そのような魅力的なストーリーや強みを言語化し、外に発信することがなかなか難しいです。それはとてももったいないことだと思います。

ライターとしても中小企業さんの存在を広く知らせることができますが、もっと「書くチカラ」「企業のストーリーを言語化するチカラ」を使って、中小企業の経営へダイレクトなインパクトを生む支援ができないか?と思っていたところに、笹木郁乃さんの著書と、PR塾に出会いました。

私が人生をかけてするべき仕事はPRだ!と直感し、OJT式PR塾へ即入塾。プレスリリースの書き方やメディアアプローチの方法、PR戦略の立て方について学んでいます。

入塾してから2ヶ月ですが、プレスリリースとメディアアプローチにより、これまで支援先企業さんが2件、私が趣味で運営している本屋うさぎ道が2件のメディア掲載を獲得しました。

中小企業は、どの企業でも必ず、人の共感を呼び、気持ちを引き寄せるストーリーがあります。
経営者の「事業を通じて社会をよくしたい」という強い思いがあります。

しかし、その思いはPRで発信しないと、他の人に伝わりません

特に、SDGs達成に向けて中小企業は様々な対応を求められています。社会的課題を解決するための「ソーシャル・ビジネス」で起業しようという人も増えてきました。これら社会的ストーリーをもった事業は、メディアの社会性にも沿うものであり、PRとの相性もよいです。

経営者たちが持つ信念や思いをストーリーにまとめ、メディアの方々に伝わるようにアプローチをする。

その結果、メディアに取り上げられ、その企業や経営者のことを知ってもらう機会が増えれば、さらに共感が生まれ、売上向上・クラウドファンディングや投資といった資金調達、最終的には経営へのインパクトに繋がる。

そう私は信じて、PRのプロフェッショナルとして一生の仕事にしようと決意しました。

PRのチカラで社会にインパクトを生む。
PRのチカラで、社会をよりよく変革する。

私がPRプロデューサーとして持つ思いをご説明しました。
言葉足らずな部分もありますが、少しでも共感いただけるところがあれば幸いです。

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