ガンダム完全講義14:第7話「コアファイター脱出せよ」解説Part1

 岡田斗司夫です。

 今日は、ニコ生「岡田斗司夫マンガ・アニメ夜話」2019/07/02配信分のテキスト全文をお届けします。

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ホワイトベースに遠回りさせて、地球全部が戦争状態にあることを見せる

 おはようございます。岡田斗司夫です。

 岡田斗司夫の機動戦士ガンダム講座、今日は第14回。「コアファイター脱出せよ」ということになってますけども。

 ……というか、おはようじゃないですね。もう夜の8時だわ。はいはい、すみません。

 今日はね、もう1日家の中にいたもんで、季節感がわからなくなって来て。

 1日家の中にいたんじゃないですね。正確に言うと、夕方に一度、睡眠呼吸科に行って、CPAP(経鼻的持続陽圧呼吸療法)の機械を取り替えたんですけど。

 これまではPhilipsだった機械を、TEIJINの機械に取り替えるというのをやってたんですけども。

 そんなこんなで7月2日の火曜日です。

 最初は、福井県のハンドルネームこうこうさんのお便りからいきましょう。

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> 岡田さん、こんばんは。ガンダム講座を見て疑問がわきました。
> 「ホワイトベースの大気圏突入は、シャアによって妨害され、ジオン軍が支配する北米カリフォルニア付近に降下した」とのことですが、ロサンゼルスからブラジル・サンパウロは1万キロですので、そのまま南下して南米大陸に行けばいいと思うのです。
> なぜ、わざわざ西回りで地球を一周4万キロの旅をしてジャブローに行ったのでしょうか?

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 これ、なぜかと言うと。ここに簡単な世界地図を用意したんですけど。

(世界地図を使って図説する)

【画像】世界地図

 ホワイトベースは、南米のジャブロー、この辺に行きたいわけですよ。なのに、シャアに妨害されて北米カリフォルニアに着いてしまった。

 「だったら、そこから真っ直ぐ南に行きゃあいいじゃないか。なんで真っ直ぐ行かずに、こんなふうに日本の鳥取砂丘に行って、その後、モンゴルを突っ切って、黒海付近のオデッサに行って、イギリスのベルファストに行く、みたいに、がーっと行ったのか?」ということなんですけど。

 これ、まあ簡単に言うと、南米の辺りというのは、ジオンの防衛線というのがメチャクチャ堅いからですね。

 連邦軍の最大の主力が残っているジャブローを包囲するためのジオンの包囲戦力があるので、ホワイトベースとしては、例えば「一旦、太平洋に出て、東からジャブローに入る」というコースであろうとなんだろうと、難攻不落で通れない。

 そういう設定上の理由があります。

 この設定上の理由以外には、『機動戦士ガンダム』って、実は、高畑勲と宮崎駿が作った『母をたずねて三千里』をモデルにしているんですね。

 『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』の時に、富野由悠季監督は絵コンテをやってたんですけど、高畑勲から散々ダメを出された。「これではダメだ。これではリアリティがない」と言われたんです。まあ、『赤毛のアン』もそうなんですけど。

 そうやって、高畑勲に散々鍛えられた富野由悠季が、「じゃあ、俺が作れるものは何なんだろう?」と考えた時に、モデルに選んだのが『母をたずねて』なんです。

 『母をたずねて三千里』って、もともと原作の小説は、確かね3、40ページくらいしかない、かなり短い話なんですよ。

 それを、1年間のドラマにした高畑勲の手腕というのに、富野由悠季はものすごく感動して、「ああ、そうなのか! これがドラマ作りというものなのか!」というのがわかったわけですね。

 主人公の少年に世界中を旅させることによって、「戦争状態というのは何か?」ということを見せる。

 例えば、中盤の砂漠地帯での戦いとか、ベルファストという軍港、あとはジャブローという南米。こういうふうなところへアムロを行かせることによって、地球全部が戦争状態にあるということを見せる。

 それも、「船の上から眺めているだけ」ではなく、時々、下に降りて、土地の人と混ざることによって、いろんな経験をしていく。

 アムロがガンダムを盗んで脱走した時の、たまたま会った砂漠のお爺さんとの「水、ありませんか?」みたいな会話って、僕らは単なる繋ぎのシーンとして見てるんですけども。そうではなくて、あれは本当に「どうやったら、地球全体が戦争状態にあるという極限状態を見せられるのか?」という、富野由悠季なりの工夫なんですね。

 あとは、「この『母をたずねて三千里』を、俺もちょっとやってみたい」というか。「アムロ・レイという少年の目線を通じて、地球1周をさせてみたい」という、そういう野望が混ざっているんだということを、ちょっと覚えておいていただければありがたいです。

 すみません、面白いお便りを頂いたので、こうこうさんには6月のステッカーを1枚差し上げます。

【画像】ステッカー

 では、今回の『コアファイター脱出せよ』という話。

 コアファイターというのは、ガンダムのお腹の中に入っているカプセルの部分が広がって、飛行機の形になったものです。

(模型を見せる)

【画像】コアファイター

 これ、35分の1のスケールだから、かなり大きいサイズで作ってあります。

 窓も、このように、OPの「まだ怒りに燃える~♪」という時にアムロ君が乗り込むシーンのように、ちゃんと窓がせり出てくるという、なかなか良いプラモデルなんですけど。

 これを使って弾道飛行をする話です。

 弾道飛行というのは何かというと、「軌道速度に達しないロケット・ミサイルの飛行経路」だと思ってください。

 この弾道飛行のモデルになっているのは、富野由悠季さんが子供の頃に憧れたX-15という、ロケット飛行機のコースだと思います。

 X-15というのは、2分間の加速でだいたいマッハ5からマッハ6くらいの速度に達するんですけども。そのX-15と同じく「宇宙高度」と呼ばれる、だいたい高度10万メートルあたりをかすめて南米まで直行する予定でした。

 つまり、普通の飛行機として、大気圏の中をビューっと飛んで行くのではなくて、本当にミサイルの飛び方なんですね。「最初に思いっきり加速して、石ころが飛んで行くみたいな形で、ジオンの制空権の遥か上を飛び越えて、南米ジャブローまで行っちゃおう」という計画だったんです。

 「最初の30秒がツラいぞ」というふうに、アムロ君は連邦軍の士官に教えられます。

 まあ、怪我をしているので、サラミスのカプセルと一緒に降りて来た士官なんでしょうけども。

 「中央カタパルトを使ってコアファイターを発射させる」と言います。つまり、コアファイターの足のところに、橋桁みたいなやつをカチャッとくっつけちゃって、これを中央スチームバルブで思いっきりバーンと引っ張る。

【画像】コアファイター脚部

 それと同時に、コアファイターの後ろのブースターを思いっきり吹かすことによって、30秒間加速する。

 たぶん、この加速によって、5G、重力の5倍の圧力が掛かるんじゃないか、と。つまり、毎秒50メートルの加速で行くんじゃないかと、僕は考えています。

 毎秒50メートルということは、発射して1秒後は、まだ秒速50メートルなんですけど、7秒後には秒速350メートル、つまり音速に達します。そして、30秒後、加速の終わった時の終端速度は秒速1500メートルですから、マッハ4.5ですね。時速5000キロくらいだから、まあまあな速度なんですよ。

 アムロ君は、これでジャブローまで行こうと考えます。

 果たして、アムロのこの大胆な計画は成功するのか?

 では、機動戦士ガンダム講座、第14回、「コアファイター脱出せよ」前半の解説をお楽しみください。

 では、どうぞ!

「弱者と強者」という避難民の構造とアムロの「やる気」

(本編再生開始)

 岡田斗司夫の機動戦士ガンダム講座。

 今日は第7話「コアファイター脱出せよ」の前半をお届けします。

 この「コアファイター脱出せよ」っていうのは、『機動戦士ガンダム』の中でも、割りと地味な回みたいな扱いなんですよ。

 1年間オンエアの番組を作る時、アニメーションの作り手というのは、12話か13話までを、いわゆる1クールとして考えて、全部で4クールでアニメーションを作るんですけども。

 この1クール目は、結構ガチガチに構成を固めるんですよ。というのも、第1クールというのは、比較的、準備して作ることができるからです。

 ところが、これが第2クールになってくると、もう、第1クールを作りながら作ることになっちゃう。いわゆる、スタジオも2周目3周目に入るんですね。

 だいたい、アニメ制作の下請けスタジオというのは、2社か3社くらいあるのが普通で。どの下請けスタジオも、だいたい「うちは以前、第4話をやった」とか、「第5話をやった」ということになってきて、それが2回くらいグルグル回ってから、第2クールに突入するんですね。

 つまり、第1クールというのは、それぞれの下請けスタジオとしても、初めてその作品を扱うということで、どこもまだ慣れてない状態なので、コンテなどでも割りとキッチリ目に指定する。そういうのが多いんですよ。

 この第7話「コアファイター脱出せよ」というのは、まあ本当に地味なんですよ。「主人公のアムロが、コアファイターという飛行機で飛び出して、帰ってくる」というだけの話なんですよね。

 戦闘シーンも取って付けたように入っているだけ。ロボットモノのアニメなので、スポンサーの方から「毎回毎回ロボット同士の戦闘シーンを絶対に入れろ!」と言われたので、仕方なく入れました感がすごい。

 特に、今回の「コアファイター脱出せよ」と、次回の「戦場は荒野」というのは、すごく地味なんですね。

 これは、1年間全52話の予定で始まってなければ、こういうゆっくりした話の見せ方はできないし、それも、第1クールでなければ、こういう「キャラクターを立てるために、あえて地味な話を配置する」というのは、やりにくかったと思うんですけど。

 というわけで、繰り返しになりますが、地味な話です。

 ところが、地味なんですけど、僕は、『ガンダム』の中でも一番好きな回の1つなんですね。

 というのは、もう上質のミステリーというのかな? アクション映画なんですよ。

 戦略モノとして見ても、「ホワイトベースはこういうふうに考える。それに対して、ジオンはこういうふうに考える」と、お互いの思惑があって、誰1人、頭の悪い人はいない。「その立場になったら、そう考えるのが当たり前だ」という行動の繰り返しで作られているんですね。

 前提として、やっぱり見逃してはいけないのは「1つ前の第6話と繋がっている」というところですね。

 第6話「ガルマ出撃す」では、ジオン軍の地球方面司令官ガルマ・ザビが、地上軍の部隊をあげてホワイトベースを攻撃する、という話でした。

 これまでは、シャアの部隊が単独で追いかけていたに過ぎなかった、いわゆる、駆逐艦1隻でホワイトベースを追いかけたんですけど。前回の「ガルマ出撃す」では、ついにジオンの地球方面軍の偉い人が、一応、戦略を立てて襲ってきたんです。

 しかし、それでもホワイトベースを落とせなかった。そこで、ガルマはルッグンという偵察機を何機もホワイトベースに貼り付けて、監視します。

 そんな「見張られている中で、ホワイトベースは逃げている」という話なんですね。

 第7話「コアファイター脱出せよ」は、冒頭から、いきなりそのシーンから始まるんですよ。

(パネルを見せる)

【画像】ルッグン ©創通・サンライズ

 まず、ルッグンという飛行機が空を飛んでる様子が映る。

 そんな中、カメラがパンすると、向こうの方にキラリと光るものがあって、ホワイトベースが見える。

 そして、ホワイトベースの中に徐々にカメラが入って行く。そういうところから始まるんですね。

 こんなふうに「ずーっと監視されているんだ」という追い詰められている感じなんです。バックで掛かる音楽も、『ガンダム』の中でも一番暗い、尺八みたいな「ヒョロロロ~♪」というのが入る、あの曲です。

 最初は、抜けのいい空の映像で、次に、ホワイトベースのロング・ショット。その後で、ホワイトベースのアップになって、窓の1つにカメラが入って行く。

 ホワイトベースの中に入ると、遠心重力区画の中に、ただただ人がダラダラ座っている。避難民ですね。避難民がダラダラ座っている。

【画像】避難民1 ©創通・サンライズ

 そんな避難民のおじいちゃん、おばあちゃんに、セイラさんやフラウ・ボウが一生懸命、声を掛けています。

(パネルを見せる)

【画像】避難民2 ©創通・サンライズ

 しかし……これ、わかりますかね? 誰1人、それに返事をしないんですね。

 実は、この端っこのところにセイラさん立ってるんですけども、誰1人、返事をしないどころか、セイラさんの方を見もしないんですね。この「目線を合わせない」というのは「コミュニケーションが取れてない」というサインです。

(パネルを見せる)

【画像】避難民3 ©創通・サンライズ

 これは、このシーンの最後のカットです。フラウ・ボウが「皆さん、用がありましたらいつでも言ってくださいね!」と言ってるんだけども、誰1人、やっぱり目線すら合わせてくれない。

 大きいフレームで言うと、まず、ガルマに見張られているホワイトベース。ホワイトベースは空の中に、ぽかんと浮かんで1人ぼっち。

 そんな孤立無援のホワイトベースの中にカメラが入っていくと、その中でも人々の対立が深刻化してしまっている。

 対立と言っても、まだ、言い合いがある内は、神経が削がれることはあるけど、まだマシなんですよ。やっぱり、一番絶望的なのは「こちら側から何かを問いかけてるのに、返事もしてくれない」という状況なんですね。

 ジオンの方はというと、前回の「ガルマ出撃す」のラストで、シャアがシャワー浴びているシーンがあるんですよね。そんなふうに、シャワーを浴びたり、冷静に敵の戦力を分析し直すという余裕があるんです。

 でも、ホワイトベースの方は全然そういう余裕がないんです。

 もともとは、「サイド7から逃げたい」と思うだけだった。「ルナツーにさえ逃げ込めば、なんとかなる」と思ってた。でも、ルナツーに行っても受け入れてはもらえない。

 ルナツーから出て、地球に降りた。「地球に降りさえすれば、連邦軍の本部があるからなんとかなる」と思った。

 ところが、連邦軍の本部には行けず、ジオンの勢力圏に入ってしまい、そこで勝つ見込みのない脱出を、いつまでもずーっと続けなきゃいけない。

 こんなふうに、どんどん追い込まれる状況なんですね。

 アムロはこの回、第7話「コアファイター脱出せよ」で、珍しくやる気を見せるんです。

 それまでずーっと受け身だったアムロが、自分から「コアファイターを使って弾道飛行をして地球連邦の軍の本部に連絡をつけよう」という作戦を立案するんです。

 アムロにしてはすごく珍しい積極的な態度で、ブライトさんに提案して「こうすれば可能ですよ!」と、色々とプレゼンまでするんですけど。

 しかし、このアムロのやる気も、どこかへ吸い込まれてしまう。

 吸い込まれる原因というのは、周りの無理解であったり、自分自身の計画の甘さみたいなものですか。

 こんなふうに、主人公がやる気を見せて立ち直ったら、これまでの番組だったら、もっとなんとかなったんですよ(笑)。

 僕らはすでに、例えば『エヴァンゲリオン』のシンジ君とか、そういうやる気のないキャラクターというのを散々見ているので、あんまりおかしく感じないんですけど。『機動戦士ガンダム』というのは、1979年頃にオンエアされたものであって、実は当時はそういうキャラクターっていなかったんですね。

 どちらかというと、ロボットアニメの主人公というのは熱血キャラクターで、周りが色々と「ダメだダメだ」と言ってる中で、自分1人だけが「行けるぞ! 行けるぞ!」と言う。そういうキャラクターしかいなかったんです。

 そんな中、いきなり体温が低いキャラクターとして、『機動戦士ガンダム』のアムロが登場したんですね。

 そんなアムロが、第7話まで来て、ようやっと、ちょっとやる気を見せた。もう、この7話まででも十分長いんですよ。主人公がやる気を見せないというのは。

 なのに、また、心を挫くようなことをする。

 「この作家は何を考えているんだ? 果たしてこのアニメを面白くするつもりがあるんだろうか?」というふうに、オンエア当時、大学生だった僕はちょっと心配にもなったんですけど。

 ところが、これが普通のアニメよりずっと面白いわけですね。

 普通のアニメの主人公がやってるような「やたらとやる気があって、周りの人間を励まして、グイグイ引っ張って行く」というのが、『ガンダム』以降は、本当にウソっぽく感じてしまったんですね。「そうじゃないだろ?」っていうふうに。

 『機動戦士ガンダム』で語られる友情とか連帯というものは、「お互いに、とことん人間不信がある中で、最低限、能力で支え合う」というものなんですよ。

 つまり、「思いやりとか相手の本音を知ったから信じられる」ではなくて、ギリギリの状況の中で、「でも、あいつはちゃんとガンキャノンに乗って戦ったよ」とか、「あの子はちゃんと怪我人に包帯を巻いてたよ」というふうに、お互いが働くことによって、連帯を深めていく。

 これは、ずっと後になって、宮崎駿が『千と千尋の神隠し』で語ったことと同じなんですよ。

 『千と千尋の神隠し』というのは、「主人公の千尋という女の子が名前を奪われて千と呼ばれるようになり、そんな中、一生懸命働くことで、自分の居場所を作り、ようやっと1人の人間として自立していく」という話なんですね。

 この映画が公開された時、周りの映画評論家とかは「すごい、すごい!」って褒めまくってたんですけど。僕に言わせれば「何、言ってんだよ! そんなもん、『機動戦士ガンダム』で富野由悠季がとっくにやってるよ! お前らみんな○○○か!?」と。

 僕が、『機動戦士ガンダム』や『攻殻機動隊』をずーっと推しているのは、そういう「後の作品に世間からの過剰な評価というのが与えられているけど、ちょっと待てよ! それは、ちゃんとその前の作品でやってるよ! お前らが気がついてないだけだよ!」というイラつきもあるからなんです。

 今回の見どころは、まずは、ホワイトベース内での政治的な不安。

 絶望的な現状を何とかしようとする子供達と、それに対する大人達。もともとホワイトベースにいた兵隊さんとか、後で乗ってきた人とか、あとは難民と呼ばれる、サイド7から乗ってきたおじいちゃんおばあちゃんみたいな人たち。こういうふうな人たちの政治的な不安。

 そんな避難民達が、ついに反乱を起こしてしまうというところですね。

 そして、ホワイトベースやガンダムの驚異的な性能に気が付いて、愕然とするシャアとガルマの振る舞い。

 あとは、妙に積極的で楽観的なアムロとか、今回は見どころがいくつもあります。

 他にも、カイ・シデンですね。

 これは、後で詳しく話しますけど、僕、もう本当に「カイ・シデンというのは『機動戦士ガンダム』の主役の1人ではないかな?」って考えているんですけども。

 まあ、それがちょっと出て来る回でもあります。

 じゃあ、最初のところから。

 さっきも話したように、フラウ・ボウが「はい、皆さん、用がありましたらいつでも言ってくださいね!」というふうに言うシーンがあります。

 これは、「ここにいる人たちはバラバラだ」ということを、お互いが目が合わせないことで表しているシーンなんですけど。

 これ、何かというと悪者がいない世界なんですね。

 「誰かが思いやりがなかったり、怒りっぽかったりするからバラバラになっている」というわけじゃないんですね。

 この『機動戦士ガンダム』の第7話「コアファイター脱出せよ」の感想が書かれたブログなんかを見てみるとわかるんですけど、みんな、この避難民のおじいちゃんとかに腹を立ててるんですね。

 「すごいワガママを言ってる」とか、「老人はワガママだ」とか、「こんな老人にはなりたくない」とかって言ってるんですけど。そうじゃないんです。それはね、すごい危険な考え方です。

 実は、状況が極端になってきたら……例えば「地震が起こった」でもいいですし、「自分達が乗っている船が遭難した」でもいいんですけど。とりあえず、状況が極端になってくると、人間は強者と弱者に分かれちゃうんですね。

 強者というのは何かというと「極端な状況の中でやることを見い出せた人間」なんですよ。つまり、何か事故が起こった時に「生き残らなきゃいけない!」というスイッチが入っちゃって、サバイバルモードになれた人間が強者なんですね。

 そういう人間に対して、弱者というのは、例えば、バスが崖の底に落ちたり、もしくは船が難破して無人島に行ったりしているのに、「もう水はないのか?」とか、「お風呂に入りたい」とか言い出すんです。そんな弱者に対して、強者はイライラすることができるんですけど。

 これは、その人間が良い悪いではないんです。状況が極端になってくると人間というのは、強者と弱者に簡単に分かれちゃうというだけなんです。

 こういう時、強者というのは、弱者を本当にお荷物に思うんです。

 「状況がどうにもならないことはみんなわかっているんだから、だったら状況に対して戦えばいいだろ!」と。例えば、水を探すでも、魚を釣るでも、やれることはあるんだから。

 ところが、弱者の弱者たる所以というのは、「そういうふうに状況に対して戦うのではなく、強者に訴えることしかできない」というところなんですよ。

 ホワイトベースで言えば、ブライトさんに対して「とにかく、わしらを降ろしてくれ」と訴える、と。

 でも、それは単に、彼らが弱いからなんですよ。

 もしここで、ブライトさんたちが全員死んじゃって、避難民達がホワイトベースを動かすなんていうことが仮にあったら、おそらく数時間の内に、避難民の中でもリーダー格の人間が「いや、ここで降りるのではなく、連邦軍のあるところまで、なんとしてでも行こう」という話になるに決まっているんですね。

 面白いもので、人間というのは弱者と強者に分かれる。

 それは、ただ単に「良い人 / 悪い人」ではなく、そんな状況の中で自分の生き甲斐を見付けられた人間、居場所をみつけた人間だけが強者になれて、反対に、居場所を見つけられなかった人間が不平不満を言う弱者になっていくだけなんです。

 そして、そんな弱者の中でも、みんなの意見を束ねることによって強者になろうとするヤツがいれば、そういうヤツに対してもまた文句を言う、弱者の中の弱者が現れたりする。

 そういう構造で見ないと、『機動戦士ガンダム』というのは、「ただ単にウザいジジイ達が色々文句を言い出した!」っていうふうになっちゃうんですよ。

 もう本当に、俺、そんなことが書いてあるガンダムの解説本とかを見るたびに嫌になるんです。「そういう浅い見方するなよ!」と。

 だって、いい歳してアニメなんて見ている僕らオタクというのは、世間的に見れば弱者であって、今までも社会の中にある弱者と強者の構造というのを誰よりもわかっているはずなのに。

 ところが、アニメを見ると善玉と悪玉、いわゆる自分が感情移入できる良いヤツと、感情移入できない悪いヤツというふうに単純に分けてしまったり、もしくは弱いヤツを敵と見なしてしまう。

 なんかね、そういうね見方をしちゃう人がすごく多いんですけど。「やっぱり、大人になって『ガンダム』を見るんだったら、そこら辺はちょっと気をつけましょうよ」というふうに思います。

(本編中断)

避難民についての補足

 はい、ここまで前半をご覧頂きました。

 無料放送はここまでなんですけど、ちょっとだけ解説しておきましょう。

 冒頭で紹介したルッグンというジオン軍の偵察機、もう、形がメチャクチャカッコいいんですよね。

 ルッグンも、さっきのコアファイターと同じように、ちょっと大型の模型を手に入れたので、今度、作ってみようと思っているんですけど。

 このルッグンは、本編の中でコックピット内のシーンも出てくるんですよ。真ん中が折れたパイプみたいな形をしていて、その上下にそれぞれ1人乗りのコックピットが1個ずつついているという、すごく特徴的な形をしてるんですけど。そんなコクピットを内部から見せるというのをやってて。

 まあ、なかなかカッコいいシーン満載です。

 今だったら、Amazonプレミアムで、『機動戦士ガンダム』が全話見れますので、解説を聞いたら、皆さんもちゃんと見てくださいね。

 僕は皆さんに『ガンダム』を見る気になっていただこうと思って一生懸命、喋ってるわけですから。

 もうちょっと避難民の話をしますと。

 この避難民の人たちというのは……まあ、アムロたちも避難民なんですけど。最初はみんな「サイド7から命からがら逃げる」ということをやってたから、ホワイトベースに乗れただけでも大満足なんです。「ありがとう、ありがとう。ありがとうございました!」なんですよ。

 そんな中、1日経ってもちゃんと食料が出て来る。水の配給もある。だから、配給を手伝ってくれている自分と同じ避難民のボランティアのセイラさんとか、フラウ・ボウという女の子にも、感謝しかないはずなんですよね。

 だけど、それが1週間も経つと、ずっと部屋に詰め込まれているということで、無気力だけがどんどん広がって行く。

 この「コアファイター脱出せよ」というのは、「ルナツーを旅立ってから2日」と言ってますから、たぶん、サイド7が攻撃を受けてから、4、5日も経ってない頃だと思うんですよね。

 だから、ジワジワと無気力が広がって来ている期間なんです。

 そんな無気力が万円する中、彼らの間にちょっとだけ芽生えた希望というのが「地球に帰れるかも」なんですね。

 この時代、宇宙世紀が始まってから、つまり、宇宙移民が始まってから50年以上が経った時期、地球に住んでいるのは特権階級だけなんですよ。特権階級でない人は、全員、宇宙に追い出されたわけですね。

 スペースコロニーに住んでいる人たちというのは、基本的には、全員、地球から捨てられた人たちなんですね。

 特に、「地球にいた頃は南米でコーヒー園をやっていた」と言うおじいちゃんが出てくるんですけど。彼は、南米でコーヒーの大農園を経営してたのに、ジャブローに連邦軍の秘密基地作るということで、無理やり住んでいた土地を追い出されて、宇宙に放り出された。

 そんな「もう二度と地球には帰ってくるな!」と言われた人たちばっかりなんですよね、宇宙空間に住んでいる人たちっていうのは。

 彼らが「地球には、もう、一生、帰りたくも帰れない」と思ってたところで、たまたまサイド7が攻撃を受けた。

 なんとかそこから逃げて、やっと助かったと思ったら、そのまま1週間も船に乗りっぱなし。

 しかし、そんな中、なんと偶然にも地球に降りることができた。「このまま高度を降ろしたら、地球に降りれるじゃん!」と。

 このおじいちゃん達は、ひょっとしたら「ブライトさん達が言う通り、真っ直ぐジャブローに行ってしまったら、また、宇宙に打ち上げられるかもしれない」という恐怖感もあったのかもしれません。

 今、コメント欄で「じゃあ、ベルファストにいたミハルとか、ああいう貧しい子供達はどうなんだ? あれもエリートなのか?」って書かれたんですけど。

 いや、そこが悲しいところで。それは戦争前までの話なんですよ。

 つまり、戦争前には、宇宙空間に貧乏人を全部追い出して、エリートたちしか住んでいない地球というのがあったんです。

 それでも、まあ、50年も経ってますから、エリートばかりが残ってたと言っても、没落する人もいて、そこそこ貧富の差も広がっていた。

 そんなところに半年前に大戦争があって、この間もちょっと話したんですけど「地球の自転が1時間あたり1.2秒加速する」くらいの大災害があって、地球全体が荒廃しているわけですよね。

 そんなふうに、みんな戦災孤児として生きなきゃいけないというような状況になっているので、もう今、シッチャカメッチャカなんですけど。

 ところが、ホワイトベースのおじいちゃんとか難民たちは、それを知らないんですよ。ずーっと宇宙都市にいたもんだから、「今、地球は荒廃している」ということがわかっていないんです。

 だから、「とにかく地球に行ったらなんとかなる。地球には緑があって、作物がいくらでも育って、サイド7のように宇宙農場みたいなところに行かなくても、どこへ行っても種を植えたら実りがあって、雨があって、自然があって、川があって、海があって」って……みんな、良いことだけを覚えているんですよ。そんな、自分の記憶の中にある地球に帰りたいと思っちゃうんですね。

 まさか、その地球の半分までが、コロニー落としによって砂漠化しているなんてことは全く知らないわけですね。

 次回の第8話「戦場は荒野」という回で、それを知った人たちの衝撃が語られるんですけど。

 富野監督というのは、こんなふうに、ちゃんとエピソードとして、そういう情報を出してるんですよ。

 でも、僕らはそれを宇宙移民の視点で見るということをあんまりしない。

 だから、今回の「地球に何としてでも降りたい。降りさえすれば何とかなる」と言うおじいちゃん達についても、「ワガママを言っている」というふうに見てしまう。

 富野さんは、この次に、「まだ自然がそのまま残ってる」と思ってたのに、かつて自分が住んでいたところが核爆弾の攻撃を受けたみたいになっていることを知って唖然とする母親を見せるというふうに、段階を追ってちゃんと見せているんです。

 だけど、やっぱり、ついつい、カッコいいロボット戦ばかり注目しまうわけですよね、僕らは(笑)。

 なので、まあまあ、僕がここで追加で解説しているわけです。

 それでは、無料枠ここまでです。

 ここからは、後半の映像に行きたいと思います。

 後半は有料放送になりますけど、よろしければ、せっかく7月に入ったばかりなので、岡田斗司夫チャンネルの会員になって、引き続き見て頂ければと思います。

 では、後半に切り換えてください。よろしくお願いします。

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