ポルチーニ茸から考えるナランチャの人生――『ジョジョの奇妙な冒険 第5部』


 ついに来てしまったポルチーニ茸の回。
 この回は本当にいい。多分アバッキオの逝くシーンの方が人気があるかと思いますが、ナランチャのシーンもいいです。ポルチーニ茸もオマケのように出てきましたが、僕が思うにあれがかなり重要です。メタ的な見方をすれば、あれはナランチャの覚悟なんですよ。

 一旦はボスへの裏切りを躊躇ったナランチャが自らの生い立ちとトリッシュの生い立ちを重ね、共感し、「トリッシュは俺なんだ!」と叫びながらクロールでブチャラティらのボートを追うシーンがあります。その放送時に少し書きましたが、ナランチャが死亡するのはあの時点で運命の流れとして決まってしまいました。それが理論的な帰結だからです。

 死んだかに思われていたボスは二重人格の特性を使ってメンバーの人格の中に潜んでいました。確実に誰か一人を不意打ちで消すことができます。一番消したいのは勿論娘のトリッシュでしょう。矢を追うために身をひそめる必要があったからレーダーのナランチャを襲ったと言われていますが、隠れている状態ではエアロスミスでの探知は不可能である描写が入っているわけですよ。姿を現さなければ探知できない点ではエアロスミスもトリッシュも同じ。ですがトリッシュは魂の絆があるためオートで感知します。正確性はナランチャの方が上ですが、別の肉体に潜んでいるボスの呼吸がどうなっているのかはわかりません。エアロスミスで別人の人格に入っているボスを探知できる確証はないのです。
 この状況でどっちを始末したいですかね?
 慎重極まりないボスはわずかな可能性でも正確なナランチャを叩く。それはまあアリといえばアリです。でもトリッシュに行く可能性も充分にあったはずでしょう。なんせ当初の目的は娘を消すことでしたから。寝起きの咄嗟の判断では、特にその当初の目的が色濃く影響してもおかしくはありません。

 メタ的に見れば、だからこそ、ナランチャはあそこであんなことを言ったのです。勿論作中世界での描かれ方としては、ボスを早とちりして安心した結果油断してしまった、というところでしょう。でもその油断の中身はあんなド直球の死亡フラグを口走ったというメタ的なものです。あのシーンはメタ的に見るものなのです。
 そうするとですね、「トリッシュは俺なんだ! トリッシュの腕の傷は俺の傷だ!」というセリフが生きてきます。トリッシュの痛みを自らの痛みとして引き受ける覚悟を決めたナランチャにとっては、トリッシュの身代わりとなって犠牲になることが物語上の理論的な着地点だったわけです。
 だからナランチャはレーダー係の二択で確実に自分を狙わせなくてはならず、そのために故郷に帰る話をした。それだけではまだ浅いから、故郷と学校とピザの話のオマケでポルチーニ茸をつけ足したのです。ジョルノという強い回復能力持ちがいますし、ピザまでならギリギリ生還もあり得たんじゃないかと僕は思います。そこで確実に犠牲になるために、死亡フラグを言い逃れできないところまで立て切るために、「ポルチーニ茸も乗せてもらおう!」まで言い切ったのです、あれはダメ押しだったのです。だからポルチーニ茸はナランチャの覚悟なんですよ。

 それとその後のジョルノの宣誓が、人格の尊重とはこういうものであるというのを示してくれていて実にいいんですよね。
 アバッキオが不意打ちで犠牲になった時、遺体を置いていくのを断固拒否していたのがナランチャでした。友情に価値を置きながらも一人ぼっちで生きることになった彼の価値観では、それはとても受け入れがたいことだったのです。その生い立ちを知っているのはおそらくブチャラティだけでしょうが、その価値観については、あの場にいた全員が強く思い知ったに違いありません。
 だからあの時、ボスに対して警戒をしながらも、すぐに矢を追うぞとは言えないんですよ。常に冷静なブチャラティでさえそれはできない。ナランチャの死に対しての何らかの区切りを付けなければならないし、それは至極丁寧で周到なものでなくてはならない。ポルナレフ以外の皆はそれをわかっていたはずです。
 そうしないことをナランチャは物凄く嫌がって、手負いの獣のように凶暴性をあらわにして感情的に喚き散らすであろうことが想像できる。だから切迫した状況の整理を終えても、ブチャラティをはじめとした全員がすぐにはボスを追うぞと号令を出せなかった。

 しかしそこで動いたのがジョルノです。
 ジョルノ程の切れ者になれば、初等教育すら受け切っていない学力と、腫れ物に触れて攻撃性が噴出するような過剰とも取れる独特のキレ方から、その生い立ちを推し量ることは容易だったんでしょうね。だからあの時のジョルノは急に優しくなって語りかけるのです。ナランチャという存在を弔うには、その生い立ちへ共感し労うことが必要不可欠だということを、瞬時に把握したのです。
 価値観に理解を示すだけなら、君は嫌だろうが状況が状況なのでここへ置いていくが、ことが済めば必ず戻ってきて、きみの亡骸を故郷まで送り届けると宣言すればそれでいいはずです。ジョルノも最初はそれを宣言するだけでボスを追おうと考えていたんだと思います。でもセリフを言い出してナランチャという人物の人生を想起したとき、それだけでは不十分だと勘づくんですね。
 トリッシュに共感して危険な道を選び取り、その果てに犠牲となるに至ったナランチャ。彼の人生をその帰結に至らしめた価値観や精神性と、それらの基盤になった人生の構成要素全てを、いたわりねぎらわないければならないと。それがナランチャ・ギルガという誇り高き人間への、あるいはその気高き人生の最後への、仲間として人間として、払うべき最大の敬意であると。
 この回は「他者への敬意とは何か」について多くの示唆を与えてくれています。それを自然にできてしまうジョルノの人格的な深さ、そしてそれを描く荒木飛呂彦に感服してしまうエピソードでした。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。