『フリクリ オルタナ』――昨日(OVA)と同じ明日(新作)がずっと続くって思ってない?

 『フリクリ』の続編と聞いて、正気なのかと思いましたね。作品内を満たす独特の雰囲気とハル子というキャラクターが奇跡的にかみ合った結果特異的にいい感じで面白くなっていたわけで、あれを今やったところでどう考えても事故にしかならないだろうよ!
 「ハル子」と「空気感」という、フリクリをフリクリたらしめたであろう二大要素をいじくってしまえばそれはもうオリジナルとは別物になってしまうし、あの空気感は時代に依存したものだったから、今になって同じ路線で作るのはおそらくもう不可能だろうとね、そう思ったんですよ。
 ただそれはスタッフも自明の理としてわかっていて、そこから生まれたのが『オルタナ』というコンセプトなんじゃないかな、とも思う。『オルタナ』のハル子がは全然ハル子じゃなくて、加齢で丸くなったかと思って残念だったけれど、作品の雰囲気を一変したならハル子の位置は一歩引かざるを得ないわけです。それが僕たちの好きだった『フリクリ』やハルハラハル子のあり方かは別にしても。
 だから「昨日と同じ明日がずっと続くと思ってない?」って結構なメタ発言なんじゃないだろうか。

 時代が変わったのだから、のび太君ポジションもそりゃ変化しますよね。特別なことは何もないと世界を諦める冷めた小学生のナオ太(OVA)と、変わらぬ日常をずっと続けたいと願う天真爛漫で暑苦しい女子高生のカナ(オルタナ)。時代に合わせた2人の主人公は何から何まで正反対。
 OVAの雰囲気の中心にあるものって、2000年前後を覆っていた不況の閉塞感とか未来への見通しのなさとかのある種ニヒリズム的な諦めだったと思うんですよ。そこにハチャメチャなトリックスターが介入していくから面白いし、「ナオ太はバットを振るのか? ハル子と一緒に行って変化するのか?」をクライマックスに持って来られたんですね。
 ところが今や時代のスピードはずっと速くなった。OVAで6話全てを費やした「子供っぽくない子供」問題を第2話でさらっと片づけてしまったことからも、その問題が今となってはさして重要ではなくなったことを示しているのでしょう。
 では新たな時代の問題とは何なのか。それを提示しているのが第1話です。

 日本を意気消沈させていた平成不況が終わり、絶望の中から希望も生まれ、今や人々の目に確かに映っています。それは当時バットを振り続けた人間の中から現れた、IT社長だったりあるいはYoutuberだったり、その他の働き方改革に成功した人だったりします。
 しかし希望や幸福が可視化していく中で、絶望的な断絶が生まれてきたこともまた事実でしょう。tiktokというアプリひとつをとっみても、あれで配信する顔のいい高校生の陰に、どれだけの絶望と怨念が渦巻いていることか。
 滅びゆく星から脱出していく金持ちのロケットをバックに、田舎町の女子高生達は100均の材料でデコったペットボトルロケットを飛ばすしかないっていう話がまさにそれを象徴しているのです。今回はOVA版を難解にしていた監督が不在のためか、『オルタナ』はとことん分かり易い作りになっていて、この点についてはわざわざIT社長のロケットについての言及がありますね。

 そういう状況の中でアニメは随分と「何者にもなれない」問題を扱ってきたのだけれど、そんな中で「バットを振れ!!」なんて言えないんですよね。あれは日本中が沈んでいたからこそ、ハル子の場外ホームランが有効打だったわけで。今はむしろホームランを打てない人間の寄る辺なさの方が問題になっているんじゃないでしょうか。
 そこで発破をかけるのは、ロケットに乗れない層に断絶を見せつけて、脱出したけりゃ弟子になれと言う炎上常習犯の情報商材屋と何も変わらないわけですよ。そういういけ好かない大人の正論につっぱらかるのがハルハラハル子というキャラクターだったはず。ハル子には威勢よくいてほしかったけれど、彼女が時折見せた面倒見の良さや優しさをを考えると、今の時代にああは言えない。
 『オルタナ』では、視聴者が持つハル子のイメージとハル子が持つ価値観のどちらを残すかを天秤にかけ、スタッフが後者をとったんでしょう。それによってハル子は一歩引いたポジションから場をひっかきまわしつつも女子高生たちを導く役回りにならざるを得ず、代わりに女子高生たち一人一人にスポットを当てた一話完結型の爽やか青春ストーリーになったのだと思います。
 『プログレ』のハル子は現代の世相を反映しているからこそ、環境や時代の流れに翻弄され選択肢がなかったペッツに対して、「アンタはそれでいいの?」と声をかけることしかできなかったんでしょう。それ以上は無責任になるという一線です。その選択に、ペッツの責任はありませんでした。

 世界が回るスピードの中、どうしていけばいいのか。その一つの解を示したのがカナです。周りを振り切って限られた選ばれしものになるか、それともそんな時代の要請に反発して、なるべく変わることなく今まで通り暮らしていきたいか。カナは後者を望みながら、ウザがられても嫌われてもペッツが大好きだと、飛んでいくロケットに向かって叫びます。変わらないものなんてないけれど、その中の素朴な日常を愛していく道もあることを主張しました。恐れや雑念を捨てて、気を遣うのもやめて、心からの想いを叫んだわけです。
 強力なNOでアトムスクの力を引き出したカナが光り輝くとともにthank you my twilightがかかる演出は画面に引き込まれました! やっぱり不満はあるけれど、『オルタナ』のこのシーンはガチです! 泣きました! 最後のlittle bustersもいいね!

 カッコつけて諦めてないでバットを振れよというラストから、時代や環境の変化に翻弄されながらも日常に価値を見出すラストへ。作品の雰囲気や主人公のキャラクターだけでなくラストの重要な部分も対比されているわけで、まさしく『オルタナ』でした。
 「走れ できるだけテキトーに」という一見微妙なキャッチコピーは、ハル子やフリクリを新スタッフが捉え間違ったものというよりは、もっと力を抜けという今の時代へ向けたハル子からの新しいメッセージなんでしょう。カナのように周りを気にしすぎたり、ペッツのように深刻に思いつめていたりする、そういう現代人に向けて、無責任にならない程度に。

 
 っとまあ、できる限り好意的に考えてみたものの、やっぱりハル子のハチャメチャさが丸くなっちゃったのは寂しかったですね。憧れのお姉さんが老けた姿を見たような感じ。確かに初見の人には見やすくできているけれど、前作が好きだった人にはあんまりウケないだろうなー。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。