『フリクリ プログレ』ーー井出くんを見てると俺の声も福山潤だったら良かったのになって思う

 キタキタキタ! これだぜこれ! これをまっていたんだ! イヤッッホォォォオオォオウ!!
 『フリクリ プログレ』はその名の通りOVA版の正統派続編だ。陰気な主人公と退廃的な空気に包まれた世界、フィクションっぽさ全開の友達と親、そして複数のストーリーが同時進行していきそうなキャラクターの配置。『オルタナ』の全く位相の違った世界を見た後に現れた懐かしい光景に期待を抱かずにはいられない。そうして第1話のラストでようやくハル子が登場したときは完全にテンションがブチあがった。

 あがった……のだが。

 違和感はすぐに現れた。ハル子がハル子じゃない。『オルタナ』の歳食って丸くなったのとは違う、それこそ解釈がちょっとズレている。『遊戯王ARC-V』の過去作モチーフの新モンスターみたいな、あの頃を踏襲しているのに何かが決定的にズレてしまっているチグハグさがあるんだ。
 それは声優や髪の色が違うからとかいう話ではない。むしろ林原めぐみはかなりハル子だった。叫び声も口調もオリジナルに近く演じていて、声に関してはやはり天才なんだと圧倒されるばかりだった。違うのは人格だった。

 OVA版では、「私はタッくんの少年の日の心の中に居る青春の幻影」とメーテルのセリフを引用してナオ太をからかうシーンがあるけれど、オリジナルのハル子にはそういう憧れの側面があった。行動も発言もメチャクチャだけれど時折気まぐれに優しくて、飄々としているようでそのスタンスは案外鋭いところをついていて、豪快な勢いと異常な行動力があって、あんなの誰にも止められなくて。
 両津勘吉を犯罪者にしたような、社会的にはダメな大人の一人だけれど、あの虚無感に満ちた世界の大人達の中ではダントツでカッコよく、そして正しくも見えた、あの憧れのハルハラハル子ではなかった。ただの自己中心的ではた迷惑な人格破綻者でしかないのだ。あれでは憧れの存在じゃない。
 なまじ腕っぷしがいいもんだから、OVA版のように挑発しながら上から導こうとするけれど、結局自分の欲望しかなく助言的な一言一言がどうにも薄っぺらくて力がなくて、かつての魅力は殆ど感じられなかった。OVA版なら、結局利用しているだけに思わせながら、ちゃんとナオ太のことを気にかけているようにも見える、思わせぶりなところが峰不二子っぽくてドキドキしたものなんだけど、『プログレ』では純粋な欲望の塊だった。

 エンディングテーマの映像では、一度アトムスクをその手中に収め、そのエネルギーを制御できなかった反動で人格が分裂したように見える。ハル子の破天荒な人格はベースの肉体とともにオリジナルに近いラハルに、ハル子が時折見せていた優しさや面倒見の良さはジンユに別れ、お互い別の存在として対立するようになった。そういう設定なのはわかる。人格が変わっていることの理論的な説明はつく。今作のハル子はピッコロ大魔王なんだから傍若無人なのは当然の成り行きなのだ。それはわかる。だけれど、どうにもそれでは納得がいかなかった。

 雰囲気を変えた『オルタナ』とハル子を変えた『プログレ』。結局『フリクリ』という雰囲気アニメの真髄はやっぱりハルハラハル子のあのキャラクターにあったんだな、と思った。少なくとも僕にとっては。雰囲気の方を重視ししていた人は『プログレ』もそれなりに見れたんだと思う。
 ヒドミちゃんは『パンスト』のストっちゃんみたいで可愛いし、5話のヨッシーアイランドみたいな雰囲気の作画は実に個性的でアニメとして楽しかったし、激しく疾走感のあるLast DinosaurをBGMにしたアクションシーンとか、thank you my twilightの寂しげなピコピコ音の使い方とかは確かにグッと来た。
 特にマジで5話の特徴的な作画がよく、水墨画風からクレヨンっぽいタッチになったかと思えば色鉛筆っぽいタッチに変化したり、配色も水彩っぽいと言うか全体的に色が乳で優しく絵本的な雰囲気で、画面に目が釘付けになる。アニメの表現として引き込まれるものがあったのは確かで、だからこそ惜しい。ヒドミちゃんがNOでサイボーグになってラハルにあしらわれながら青臭い格闘するのも面白いんだけど、ラハルの薄っぺらな嫌なヤツっぷりが悲しい。

 『オルタナ』のロケットに象徴された時代背景の中、「やりたいようにやれよ」「でも周りの迷惑にならないかはよく考えような」というのが『プログレ』のテーマだったのかな。それには同意だし、同意できるからそう読み取ったのかもしれない。そしてそれを受けて「だからって嫌われるかもとか考え込んで遠慮してばっかりになるなよ」に繋がるのが『オルタナ』。
 そうすると、自分の目的のために子供を利用したり煽ったりしているクセに何故か偉そうでひたすらワガママ放題のラハルは、ナオ太とは逆の「子供みたいな大人」を象徴していると見ることもできる。僕を含めOVA当時の子供が結局大人らしい大人になれていなくて、インターネットで煽り合いとかを相変わらず続けているもんだから、「好きにやるっつっても、ハル子がこんな大人だったらイヤだろ?」っていうことなのかもしれない。そういう理由でもないとさ、あのハル子は納得いかないよ。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。