幽遊白書――妖怪のほうが人間らしいよね?

幽遊白書で好きなキャラクターは誰ですか?

多数派は飛影か蔵馬かで、たまに幽助がチラホラというイメージで、桑原と言う人はかなりのイロモノ好きな感じがします。

僕はというとセオリーに反して飛影でも蔵馬でもなく幽助が好きで、割と僕の中でのスタンダードな主人公像は彼が担っています。
主人公というと、どうにも掴み所がなくお気楽能天気で、それでいて肝心なところでは頼りになるっていう悟空型が多いわけで、単純に気持ちがいい感じの主人公は案外珍しい。
幽助の流れを組む単純爽快バカ路線だと青の退魔師と双星の陰陽師が挙げられ、どちらの主人公も結構気に入ってます。

とはいえ幽助には大きな欠点があって、終盤のエサ発言は作者が辞めたがっていたとはいえいただけない。
作者はその後も幽白のストーリーを茶番劇に落として壊そうとしているから相当しんどかったようだけど、
それまでが単純にいい奴だっただけに、少年漫画の主人公が人間をエサ扱いするのは悲しかった。

そうやって設定的にも描かれ方としても主人公が人間ではなくなっていった中、あの物語で誰が一番人間だったのだろう。

そう考えると、僕は戸愚呂(弟)と雷禅だと思うんですよ。

(両方妖怪だけど)

戸愚呂は中盤のボスキャラにて絶対的な壁、雷禅は弱っていく元最強の妖怪で尊大な父親。
役回りは違えど、両者に共通するのはそれぞれ悲しみを忘れなかったことです。

戸愚呂(弟)が人間をやめてこれ見よがしに悪役であろうとするのも、無類の喧嘩好きが弱るのも厭わず絶食を続けるのも、根源は悲しみなんですよね。
まず悲しみがあり、次に悔恨があり、自分の不甲斐なさがあり、それを絶対に許すまいと苦行に勤しむ。
その不合理な選択が、たまらなく人間を感じる。

いやだってほら、精巧な機械じゃ絶対にしないじゃないですか。AIは選択肢にすら挙げないでしょうよ。

機械でなくとも、合理的で意識の高い、冷たいとか薄情とか言われるような人間は、合理的選択をしないで不利益を受け続ける、気持ちの人間を嘲るでしょう。

僕は人間的なものの一つは、この不合理だと思うんですよ。合理的に割り切って歩めない迷いこそ人間らしいと感じるのです。
過去のある一点への強い拘り。あの時こうしていれば、こうできていたならと歯を食いしばり激しく涙する心。
そしてその現れとして自ら不必要な十字架を背負う。

雷禅は幽助の遺伝上の母について話す時、生まれ変わりに言及してるわけで、訃報を聞いた後最初は楽しみに待ってたんだと思います。
それが待ちに待った生まれ変わりは、自分を虜にした底知れぬ強さを持っていなかった。雷禅は一人肩を落としたでしょう。
その先も次こそは次こそはと待ち続け、それでも生まれ変わりにかつての面影はない。
そしていつしか絶食は宗教的な祈りになっていて、それを続けていればいつの日かいつの日かと、生まれ変わりを待つのを諦めて久しくなっても食事を拒み続けている。
なんて人間らしい大妖怪なんだろうと、僕は思います。

ああ、人間だ。これが人間ですよ。
アーカード(ヘルシング)が彼らを見たら、満面の笑顔を向け褒め称えるに違いない。
とくに戸愚呂(弟)なんて、人間やめてるから最初は嫌われるに決まってる。
武術のために人間を捨てた? それでこの程度か。そうだそれでこの程度だ。たったのこの程度なんだお前はと、徹底して痛めつけるはず。
いくら屈強な戸愚呂(弟)でも、アーカードのでたらめな強さには敵わない。

さんざ格の違いを見せつけたあと、もう終いだとアーカードは首筋にかぶりつこうとする。
そこで戸愚呂(弟)はようやくこの悪役を演じる拷問の日々が終わるのかと安堵の目を浮かべるわけです。

それを訝りながらも血をすするアーカード。そこで、戸愚呂(弟)の記憶が流れ込んで表情を変える。先ほどの表情の変化の真意に辿り着くと、想定外の上物に高鳴る胸に吸血は止まり、瞳孔は一気に開く!

そしてアーカードは笑いながら、気が変わったと戸愚呂(弟)を見逃すでしょう。
償いを続ける姿を見ていたいから。その姿が実に人間的で、尊敬に値する美しさだから。

その場を後にしながら、アーカードは満面の笑みで仰々しく叫ぶ。これだから人間は素晴らしいと!

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。