見出し画像

その昔、無名の、大衆のひとりだったはずのあなたへ

ふと、無名な、大衆のひとりだった頃が懐かしくなったりしませんか? マスメディアからの情報で意思決定してた、テレビの言ってることは正しいと疑わなくて済んだ、多数決の際に手を挙げるか挙げないかだけで意思表示したと見做してもらえてた頃を。

マスメディアが影響力を失って、ソーシャルメディアと検索で主体的に情報を集めていかないと情報弱者だとされる時代になって困ったこととして、新しく好きなことを探しにくくなってきてたりしませんか?

ちょっと「○○が好き」なんてことを口にすると、やれ「よく知らないくせに」とか「歴史浅いくせに」とか「私の方が経験ありますよ」とかって勝ち負けのテーブルに乗せられる。それが面倒で何か新しく好きになることから逃げてしまってません? 僕はちょっとそうなり始めています。

本来、好きとかって感情は、勝ち負けのテーブルに乗せられないもののはずなんですよ。でもね、今は好きの「度合い」を勝手に測られる。SNSとかで表に出した途端にね。

マーケットもそれに呼応するように動いてて、軽く好きになって程よい距離感で楽しむことを許してくれなくなってきてる。めっちゃ好きでめっちゃお金を落とすか、それとも存在そのものを知らないか、上手にフリーライドするか。仕組みがそういう設計になってる。フリーミアムなんてのはその典型じゃないかな。

そもそも測れないものを無理矢理測ろうとする動きと、測られることから逃げようとする動きと。

草食化って、そういう動きの一つの表層なんじゃないのかなって、ふと思ったのよね。よく知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?