2017.05.08

こないだの話。

開店前にトイレに行こうと店の扉を開けたら、アベックが外の順位表を見ていた。
サッカー好きなのですか? 鹿児島ユナイテッドFCって知ってますか? と聞くと、知らないと。旅の途中で鹿児島に来たらしい。
日本語がとても上手ですね、と言うと、いやあそんな事ないですよー、と謙虚に振る舞う。その振る舞いがめちゃくちゃ日本的だなあと思ったり。

名刺渡して、サッカーやってたんですか?とかの世間話して、じゃあと別れようとしたら申し訳なさそうに「ひとつお願いがあるのですが」と。ここで少し緊張する僕。

「私たち、クリスチャンなのですが、お祈りをさせていただきたい」と。

「どうぞどうぞ、でもそのあいだ僕は開店準備してていいですか?」

「もちろんです」

そして2人はなにか言いながら祈りをささげて、店を出た。

懐かしいなあ。こういうの、昔あったやつやなぁ。このあと、もっかい戻ってきてどこか悪いとこありますよね? とか言うんだよなぁとか思ってたら、やっぱり帰ってきた。

「すみません。先ほど、祈っていたときに神様が教えてくれたのですが、あなた、左脚に何か痛みなどはありませんか?」

ほらきたーって思いながらもそれはおくびにも出さないように笑顔で、大丈夫です問題ないですよありがとう、と答えて帰した。

なんだかんだでベタなのが1番生きのこる。商売のベタは宗教と売春。このふたつの基本的なアプローチの仕方は今もいろんなところで生きている。

健康であることが基本で、不健康なのは不完全だ。
裕福であることが基本で、貧乏なのは不完全だ。
友人がいることが基本で、孤独なのは不完全だ。

本当はそんなことないのに、そう信じている人は多い。そして不完全なものを補うことが、欠けたピースを埋めることが満足だと信じている人も多い。そんな満足は一瞬で終わるのだけど、この種の満足は中毒性があるから止められない。

それにしても左脚とはな。
これがもし、「今、あなた、うんこ我慢してますね」だったらその神様、ビンゴやってんけど。

※この話は100円支払っても続きはございません。なのでその100円はなにかに寄付などしてください。

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