みれロアとかいうVtuber界のチェルノブイリ

こんにちは。みれロアのオタクです。
つまりこの文章は紛れもない私怨で書かれています。

みれロアは誕生から1年くらい、解散から半年くらい経ちました。例のお気持ち配信について言いたいことはめっちゃあるけど黙ります。真相は2人にしかわからんので。わからんことを話してもしょうがないでしょう。

なので僕が自信を持ってわかること、みれロアというキャラクターのオタクだった僕の心境を話します。

正直、とっても怨んでます。

Q誰を?
A夢月ロアと郡道美玲の魂を。

みれロア解散は一部の厄介オタクのせいだと本人らから語られています。本当かどうかわからんけど。とにかく、そういうことになっていて、2人に非はなかった。これが真実。

で、あるならば。
みれロアがチェルノブイリ化したのは2人のせいでしょう。

視聴者のせいが真実だとして、それを公表したらタブーになるのは目に見えていたはず。「みれロアやって」は解散前も後もギルティとして。みれロアに触れること自体が2人の気持ちに配慮できない厄介オタクとして扱われる。

まあ、こういう状況を狙ってのお気持ちだったんだろうけど。だとしたらなおさら、みれロアのオタクは2人を恨む権利があるでしょう。オタク、権利主張しがち。

ということを書いた傍から、僕は2人の敵にされます。下手をすると、Vtuber全員の敵にされたかもしれません。キャラクターを押しつけるのはよくないことです。なぜならVtuberは人間だからです。心のある存在なのです。

で、なぜVtuberだけが人間なのか。

背後に担い手となる人間がいる。そう考えるならこの世のすべては人間です。スマホも、漫画も、キャベツも、法律も、BOTも。全部人間。人間万歳。

超極大ご都合解釈。
みれロアだってもしかすると2人じゃないスタッフの提案で実現したカップリングで、みれロアは2人以外の人間だったかもしれません。

でもみれロアは人間じゃなくて、夢月ロアと郡道美玲は人間です。

みれロア解散以後、ずっとこのことがモヤっていた。どうしてVtuberは人間なのか。人間であることが特別視されるのか。接客やってる時の僕はレジマシーン扱いで人権死んでるのに。ここ私怨ポイント。

Vtuberと接客レジマシーンの何が違うのか。
答えはたぶん、消費側の動機です。

客はコンビニ店員にレジとしての働きを求めてやってきます。コンビニ店員という人間に会いに来ているわけじゃありません。

対するVtuber。オタクはキャラクターを見に来ているのではなく、人間に会いに来ています。そもそもVは、キャラクターと交流できる喜びから始まったコンテンツです。交流するためには、人間である必要があります。

こういう図式が根底にあり、けれどキャラクター型としてのVtuberは廃れていった。しかし「人間」という単語は神聖化され、視聴者がVtuberを祀りあげるお神輿として、もしくはV側が自己弁護をはかるための錦の御旗として残っていった。

お神輿の上で錦の御旗を振った結果。
みれロアはチェルノブイリになりました。

というのが、僕の語りたかったスーパー雑くそ仮設恨み節です。

最後に。言われると思うから言う。
Q嫌なら見るなよ。
Aぼかぁみれロアが好きなんだよ!!!

みれロアのオタクです。今でもみれロア超超大好きです。例の香水を2人並べて飾ったり、「夢の随に涙すれど映る月見て忘れよ」って夢月じゃんみれロアじゃんとか考える程度に好き。嫌なら見るなじゃなくて、好きなのに見れなくて語れない。

見れないのは許せるが。
思い出すら語れなくしたのが許せない。

帝華は温情だったな。

以上。にじさんじの初期設定で百合を期待したら二度殺された百合オタクの亡霊でした。