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目が大汗かくこともある

2020年5月28日、父方のばあちゃんの四十九日でした。


もしかしたら疫病を振りまいてしまう...

誰かの大切な人を奪ってしまうかもしれない...

そう考えると葬式に帰ることもできず。

父も「帰ってくるな」という考えで。


葬式に出られなかったこと、死顔を見られなかったこと、手を合わせ、たった一言「ありがとう」を言えなかったことを一ヶ月引きずってしまい...

残されたものにとっての葬式の意味を改めて感じました。

亡くなる一種間前に急に体調を崩したこともあり、全く心の準備もできていなかったのもショックが大きかった。

会社に相談して二週間の休みをもらい自宅謹慎、そして四十九日に向けて、なるべく確率を低く抑えるために東京から実家の石川までレンタカーで帰りました。

お寺さんの法要自体はすでに終わっていたので、目的はただただ墓前で手を合わせること。ただそれだけでした。


いざ墓前に立つと...

涙が止まらなくなりました。

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朝早くに行って、誰もいなくてよかったです。

“そこに私はいません”なんて歌詞もありますが、僕はお墓から離れたくなくなりました。

ずっとそこにいたい、離れたくない、そう思いました。

ただただ、大好きだったなあという感情が湧き上がってきました。

僕の両親は共働きで、半分ばあちゃんに育てられたようなもの。

そして、反抗期には酷い暴言を撒き散らしたことも...毎日のようだったかもしれません。

だからこそ...心の底からありがとうを言いたかった。

大好きだったよと伝えたかった。

長生きしてくれたことに感謝したかった。

享年91歳でした。

生まれた年にすると1928年、昭和3年。すごい歴史です。


亡くなった日は娘(僕のおばさん)の誕生日で夫(僕のじいちゃん)の命日の前日で...

どんなことを考えていたんだろうなあと...


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"人は死ぬ"ということを理解し出した頃に、真っ先に思い浮かんだ存在がばあちゃんでした。

じいちゃんはもういなくて、身近な最年長はばあちゃんでしたから。

「俺はばあちゃんの葬式には絶対出るんや!」みたいな自信(?)のようなものを覚えた記憶があります。


また、母方のじいちゃんが亡くなったときには一緒に住んでいたわけではないのに、葬式では嗚咽し、泣きじゃくりました。

嗚咽って、こんなに自分の意思に反して制御なんて出来ず、“堰を切った”という表現がピッタリのものなんだな、と人生で初めての経験でした。

だから、親代わりに暮らしたようなばあちゃん、暴言を吐いてしまったばあちゃん、大好きだったばあちゃんが死んでしまったときは、たくさんたくさん泣くんだろうな、と思っていました。

しかし...

それが葬式に出られず、泣くこともできず、感謝を伝えることもできず...

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でも今回、四十九日に墓前でそれを少しでもできた気がして...ほっとしました。

たくさん思い出が浮かんだし、ありがとうも言えたし、大好きだったとも伝えられました。


一方で、生きているうちに言えてよかったなと思っていることもあるんです。

母方のじいちゃんの葬式で泣きじゃくりながらも、僕の近くにいたばあちゃんに「長生きしてな」って素直に、本当に素直に心の底から言えたことです。

それは、本当に言ってよかった。

「ばあちゃんが死んだら、俺、今みたいにまた泣きじゃくってしまうんやからな?」って伝えたかった。

だから、みんなにもこれは言いたい。

思っていることがあったら、少し恥ずかしくても勇気を出して伝えてください。

少しの恥ずかしさなんて、後悔より全然良くないですか?

ああ、また汗が。。


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手を合わせている時に、ふと顔を上げて周りを見渡すとたくさんのお墓があって...

当たり前なんだけど、「ああ、これだけ沢山の人の連なりと、その物語が詰まった場所なんだな」と感じました。


お寺さんは、たくさんの人の物語を静かに見守ってくれている存在なんだなあ、それもありがたいことだよなあという気づきもありました。

そのお寺は高校の後輩が跡を継ぐお寺で、今は頑張って修行中みたいなので安心して任せられます。

そして、たくさんの人生があるし、大好きだったばあちゃんがいたから今の自分がいるんだな、と感じ、恥じないように歩んでいきたいと思いました。


墓前から離れがたかったけど、ろうそくが燃え尽きたあと車に乗り込み帰路に。

道中で宇多田ヒカルの「嵐の女神」がかかり、「お母さんに会いたい」というストレートな歌詞。

そして、また、その日の天気にぴったりな「こんなに青い空は見たことがない」という歌詞。

また目から汗が溢れ出して...運転どころじゃありません。

帰ったら両親からは、遅いから心配したと言われました(笑)

本当にばあちゃんは大切な存在でした。

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もしも、ここまで読んでくれた方がいたら、本当に、本当にありがとうございます。

この記事は、僕が前に進むため、そして、ちょっとでもばあちゃんに伝わってくれたらいいなあと思って書いています。

こういうことって...書いても書いても書き切れないですね。

早く誰とでも気軽に会える状況になって、そしたらおばさん(ばあちゃんの娘)とも思い出話をして偲びたいなあと思っています。

たびたびですが、読んでくださった方、本当にありがとうございます。

そして、最後に...


ばあちゃん、大好きやったよ。長生きしてくれてありがとう。俺はばあちゃんの孫で本当に幸せやったよ。

またばあちゃんに会いにいきます。ばあちゃんの好きやったもんもこうていきます。

長生きした分、ゆっくりしてな。

ありがとう。

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- ばあちゃんの四十九日に撮った写真たち -
SIGMA DP2x

写真集・写真展を2025年に発表することを目標に活動しています。その撮影をすれば資金はなくなるし、資金作りに時間をかければ撮影時間がなくなるしというジレンマの中にいますので、サポートは大きな推進力となります!