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陰と陽、善と悪、語り継ぐことの意味

おはようございます。マッキーです。

noteを書いたりソロギターを弾いたり、英語や日本文化、他人のいいところ研究所所長兼主席研究員をしながら接客業に従事しています。愛妻家であり愛国者であり、一児の父でもあります。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

さて今日はですね、少し早起きする事が出来たので普段よりも長い目の文章を作ってみたいと思います。

物を書き始めて熟思うのが、新鮮さを保つ為に、生活や経験で入ってきた情報を分解、咀嚼、落とし込みをしてそれを自分なりに反芻して、世に問いかけるのが今の僕の役割に思います。その上で読み手の皆さんにとってよかった思ってもらえたらこれ以上の報酬はありません。また実生活での発見や私見を発信する上で注意するのが、自分がいる環境が他人にとっては当たり前ではない事を踏まえた上で発信する事だとも思います。その点、留意しながら書いていきます。

僕は今とある生活必需品を取り扱う接客業に従事しています。現在の職場の雰囲気は多忙極まりない中、スタッフ同士の連帯感はそれに伴ってか今まで以上に高いように思います。ただ、昨今の情勢で社会的な使命も担っておりますので精神、肉体共々疲労という名の緊張の糸が張り詰めているのも事実です。一部のマナーの悪いお客様の対応に時間と精神を削がれているのです。思わずこの感染症以外の心の闇を感じてしまします。これは今の僕の環境だからこそ感じられる物です。あくまで今です。明日は分かりません。現場に出ている以上、リスクはあるし仕事の安定なんて誰にも分からない時代です。

物事には常に「陰」と「陽」が存在します。「陽」を意識することは幸せになる為に大切なことですが「陰」を認識して始めて成り立つことだとも言えます。意識することで「陰」に飲み込まれないように行動する事ができるのです。「善」と「悪」と言い換える事もできると思います。

以前読んだ本の中で、外国人からみた日本の教育のおかしな部分を指摘していた部分を昨今、強く思い出します。もちろん、先生の悪口を言うつもりは毛頭ありません。本当に現場や組織として苦労されている方々の存在なくして社会が成り立つわけがありません。それに加えて待遇の改善も求めたいです。本当に教育に携わっておられる方々に敬意を表します。その上で、上記の話を思い出さざるを得ない心境に陥っております。
学校では常に「善」を教えます。「悪」は存在しないのだと。とりあえずみんな仲良くする事がいい事だと。だから本当に不幸な事ですが子どもが事件に巻き込まれ殺害されてしまった後、学校では校長先生による全校集会が例外なく行われます。一人の外国人の方から見て滑稽に思われるのが、明日被害者になる可能性がある子どもたちに「命を大切にしなさい」と伝えるのです。自分の命を大切にするのは本能的に分かっている事です。だから空腹が辛く感じるのです。「命を大切にしなさい」それは加害者に伝えるべき事です。子どもたちに伝えるべきことは世の中に自分の都合で人に危害を加えるかもりれない「悪」が一定数存在する事だと思います。また自分の中にも「悪」は存在するものだと教えるのです。

また以前、戦前に行われていた修身の教科書を見た事があります。その一説に、友だちが道を外れた行動を取った時に、自分がどう動くかというテーマがありました。例えば、下校途中に人の畑になっていた果物を勝手に取って食べようとした友だちに対して、どのように行動するべきかを説いています。
正解を言うと目から鱗でしたが、「一度は注意せよ。聞かなかった場合は速やかにその場を離れよ」です。「悪」をちゃんと教えているのです。その上で、「悪」を認識して指摘した上で、「自分が巻き込まれないように自分を守りなさい」。そう言っています。本当に実践的なものの教え方だと感心しました。

話を元に戻すと、自分が「悪」の存在を知らなければ、「悪」と対峙する事はできない、よって正義感も産まれてこないそう言えると思います。またそれを理解しないままだと自分が唯一正しい存在となってしまい、他人の事や社会の事、国際関係の事など無関心な人間に育ってしまいます。自分の行いでどれだけ社会にとって損失が産まれるかを考える事が出来ない、昨今の情勢だと特に、「これくらいの外出は許されるだろう」「マスクをしているから感染はしないだろう」「普段自粛しているからたまの息抜きも必要だろう」そんな思いが重りあって、集まるところに集まってします。恐らくそういった場所で働いている方は、一部の自分が無自覚に思わずなってしまった「悪」の心持った人間から心ない事を発せられたというご経験をお持ちではないでしょうか。もちろん不要不急の外出を否定する訳ではありません。必要な買い物に来れれている方の健康を願わない日はないのです。息抜きも必要です。ただやり方を考えて欲しい。これだけ交通が発達して、尚且つ選択肢が狭められているので、逆に場所によっては密集が起こり危険な状態に陥りかねない。あなたの大事な人を守る為に現場で働くものとして、もう一度柔軟なご判断を伏してお願いします。

僕は日本文化に興味があります。文化というのは人々の思いや歴史の繋がりでそれが育んできたものです。今までも国家存続に対して大きなリスクは存在しました。その時代に生きた訳ではないですがそれなりに勉強を重ねれば想像できる範囲も増えてきます。例えば先の大東和戦争の中で、祖国、家族の為に勇気と力、命や健康を引き換えに戦ってくれた先達がいらっしゃいます。とても暑い南の島です。たまに降るスコールをためてそれを飲む。地下壕に閉じこもりながら、米兵と、自分の大切な人のために最後まで戦ってくれた先達がおられるのです。自決された方がマシなくらいに激烈な状況だったようでしたが、自分たちがここで時間を稼ぐ事により、日本にいる女性と子供が生き延びる確率が上がる事を理解されていたのだと思います。その生き残りが僕らです。一度ワシントンに旅行した時に、アメリカ側の海兵隊の戦争記念碑を見た事があります。

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日本には靖国神社の遊就館が唯一と言っていいほどの戦争記念館です。ただ国立ではありません。戦った相手は自分たちの為に戦ってくれた先達の事を忘れないようにずっと国として後世に残しているのです。

さて現在に話を戻すと、この状況で命を掛けて奮闘されている医療従事者の方々、その方々にも家族がおられるのです。また武漢で発生した当時はおむつを履いた状態で診察にあたられていた医師の方がおられたと聞きました。防護服の数にも限りがあるので、日本で従事されている方々も同じ苦しみを抱えながら奮闘されているのではないでしょうか。本当に頭が下がります。そうやって自らの事を顧みずにお仕事にあたらてている方々に最大限の敬意を表し、感謝の気持ちを感じます。そしてその存在を誇りに思います。この国難の刻、奮闘されているかたがたの事も、記憶に刻み込んで語り継いでいきたいと思います。

見えないところで頑張っている人がいるから何を自粛しろとかではなく、その頑張りに協力できる人でありたい。またそういう社会でありたいと強く思います。

また半面、油断や慢心があるのも人間です。個人の心理を一概に「善」や「悪」に落とし込む事は容易くはありませんし面白くもありません。ただその行動の結果、どうなるかを少しでいいので想像してみる事が社会として「陰」や「悪」と対峙しつつ、「善」であり「陽」を産んで行く事につながるのではないでしょうか。

また今日明日の生活がままならないという方もあられるでしょう。どうその方の使命に沿った出会いが訪れる事を願います。何でもいいので、どうぞ発信してみてください。

普段より長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。


ビックラブを送ります。

では良い1日を。

マッキー

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