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広島の旅行を思い出しました

フォーローさせてもらってるsakuさんの広島に関する記事を拝見して、数年前の旅行の事を思い出しました。

優しい文章を通じて追体験をしているような、自分のいなかったはずの空間に連れて行ってもらってます。

ご家族にあの凄惨な現場を経験されている方がおられて、記事を読み進めるうちに、自分に置き換え、想像し、それを深め、、伝えていきたい。経験がなくても、経験談を通して、経験しないことの有り難さを感じられます。

そして僕の話に戻ると、当時の旅行の事を書いたのがこちらです。

文体や構成にも少し手を入れて、振り返ってみたいと思います。

5年前の話(2017年)になりますが8月6日の平和記念式典に参加する為、彼女、今の妻と一緒に広島に訪れました。

式典の前日に広島に入りしました。

宮島や市内の観光を行い、夕方、お好み焼きと少しのお酒を嗜んだ後、繁華街から広島駅近辺のホテルまで、広島らしい路面電車が走る幹線道路の歩道を20分くらいの時間を掛けてトボトボと歩いて帰っていたのです。

夜も暮れてしばらく経っていた時間です。

不思議な経験をしました。

決して少なくない人が街にいたののですが、それを優に超えるものすごい数の魂というか、はっきりと目には見えないのですが人の存在を感じました。

一人、二人ではありません。群集と言えるレベルのボリュームです。当時は本当に恐ろしいものを見たなという感覚だったと思います。

翌日、早朝から平和記念公園まで再び歩き、式典に参加しました。

公園周りには当時で7年の長期政権であった当時の安倍総理に対しての罵詈雑言の弾幕をかざした特定の団体がいました。話には聞いていたんですが、ほぼ意味を感じなかったので、さほど気にはなりません。

既に人で埋め尽くされた会場の奥に入り、8時頃から式典が始まりました。献花が行われました。

それぞれが72年前にこの場所で起こった出来事について思いを巡らせておりました。

そして、8時15分になり、会場全体で黙祷を行いました。

約35万人いらした広島の市民のうち約7万人の命が一瞬にして何の予兆も無く奪われたと聞きます。さらに約7万人の方がその年の内に原爆で課せらられた傷を負い亡くなられた。

昨夜に感じた魂はその方々だったんですね。お帰りなさい。僕らはたまたま生き残った人たちによって、繋がれた子孫です。きっと毎年帰ってこられているんですね。なんだか回想しているだけでもその無念な気持ちが伝わってくるようで、胸が抉られるようです。生き残った僕たちに何を訴えに来られているのか。

昨夜のことを自分の中でそう解釈しました。今でも変わりません。

一点残念だったのが8時15分に行われた黙祷の間にも、公園の外から先ほどの罵詈雑言がぼんやりと耳に入ってきた事です。なぜこの日にこの場所で関係のないご自分の主張をする必要があるのかよく分からない。僕が安倍さんに対してファンであるとかではありません。マナーの問題です。

しかし、ネガティブなパワーは最後に見事に吹き飛ばされました。

式典が滞り無く進み、締めに広島の子供たちが平和を愛する気持ちを乗せてスピーチを行ったのですがそれが感動的なものでした。

外からの雑音を吹き飛ばし、会場からの破れんばかりの拍手が広島の街に響き渡りました。

ここにも忘れてはいけない人たちの魂が生きております。

僕は英霊となった御先祖様から、終わらせるな、命を繋げ、自分以外の他人の事も大切にしなさいと応援されているように感じます。

素朴な疑問ですが、戦いを終わらせる為になぜここまで大きな悲劇を起こす必要があったのか、また3日後に長崎に違うタイプの爆弾を落とす必要があったのか、そういうモヤモヤした気持ちもあります。

それでも、その後、オバマさんが広島に来られた時の被爆者の方への振る舞いには胸を熱くさせられしました。本当に良かったと。

あれから5年が経ち、僕の人生で言えば、結婚、子どもを三人授かりました。

命の本質は繋ぐのことのみにあると聞いた事があります。

なんとかその営みを続けられるのも、今までの歴史の延長線上にあるもので。。忘れちゃいけないことだなと、改めてsakuさんの記事を通じて、思い起こしました。

子どもが落ち着いたら家族で改めてもんじゃ焼きを食べにいきたいです♪

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