彼の人生コンサートは私の希望になった
怒涛の情報月間が過ぎ、怒涛のツアーがあっという間に過ぎた。
ユンギさんが無事にファイナル公演を終わらせ、兵役義務を果たしに行っている今日この頃。
なぜかD-DAYのことが頭から離れない。
2月の発表
忘れもしない。2023年2月14日、バレンタインデーの夜。
私はその時、この世で一番仲良しの女と大阪旅行に来ていた。
だべりながら炭水化物パーティーをしていた時。それはやってきた。
突然のウィバスライブ。私は奇声を上げながら画面に飛びついた。ニコニコのまんまる笑顔を浮かべて、ヴァレンティノのおしゃれなジャージを着て配信するユンギさんがいた。
「バレンタインだから来てくれたのかな♡」などと考えながらひたすらわからない韓国語を聞いていた。
0時になった。その時だった、ユンギさんが突然ニヤニヤし出したのは。
そこからのTwitterの阿鼻叫喚は恐ろしいものだった。正直夢かと思った。
突如投下されたツアーのお知らせ。
次の日は開園から閉園までユニバで遊ぶ予定だったのに、私はこの一瞬で寝不足を確信した。本当に罪な男だ。
3月、情報地獄のスタート
絶対誕生日になんかやるぞと思って覚悟していたのに、何もなかった。
油断していた。3月11日。
ツアーの詳細発表に「Kanagawa」の文字。
ふざけるな地元じゃねえか。
私はこの時点で、神奈川県内にユンギさんが侵入してくることを考えて狂った。
チケットの申し込みは、大学の出願と同じくらい緊張した。なんてったって、コンサートなんてこれが初めてだったのだ。
最前ド前でマイクを突然向けられても大丈夫なように、ラップの聞き込みと練習を強化した。
4月 本当の地獄はここから
アルバムの発表。新年度早々、咽び泣いた。
btsのシュガとして、ソロ名義のAgustDとして、そしてミンユンギとして。
彼の思いがぶち込まれた曲を聞いて、鳥肌がたたないアミはいなかっただろう。
ユンギさんの音楽を聞いていると、感情を体から無理やり取り出して、そのまま投げつけられている気がする。それぐらい、何か伝わってくるものがあるのだ。
そんなことを日々思っていたらコロナに罹った。焼けるような喉の痛みと日々格闘し、鼻水が詰まって眠れない夜、Haegumのコンセプトフォトが公開され、さらに眠れなくなったことをよく覚えている。
たくさんの情熱と熱い思いが詰まったものを手にする権利を与えられたことが嬉しくて、金を使いまくった。
5月 鬱
そしてチケットは全滅した。絶望した。
私が一番行きたかったのに。ユンギさんは私を選ばなかった。
悔しくて悔しくて、せめて良い映画館でユンギさんを拝もうと思って、チケットが他の映画館の1.5倍ぐらいするライビュに申し込んだ。
幸いなことに、ライビュのチケットを手にすることができた。嬉し過ぎてどうにかなりそうだった。それでもまだ、コンサートの現場に行けないことが悔し過ぎて、日々暴れていた。
これから始まる散財のために、シフトを増やした。
日本にユンギさんが!!!!うわあああ!!!(6月)
6月2日、3日、4日。伝説の3日間だ。
横浜に台風が上陸している最中の2日、私はグッズを受け取りに会場に行った。
開場を待っているアミの皆さんが羨ましくて、泣きそうになりながら帰った。
4日も私は会場に行った。友達のグッズ受け取りについていくと同時に、Twitterのフォロワーさんに会いに行った。
問題は3日だ。イルコン2日目、そしてライビュの日。
私はツアーが始まってから、Twitterに流れてくる動画や画像を見つつも、肝心の演出については何も情報を得ていなかった。
だから、ユンギさんが抱えられて出てきた時、言いようのない興奮に包まれた。
ああ、これはただ歌って踊るだけのものではない。きっとこのコンサートは、彼にとってとてもとても大切なものなんだな、と感じた。
D-DAYのイントロが始まった。ステージに寝転がってびくともしなかったユンギさんの左腕がそっと上がり、マイクに向かって声を発した。
気がついたら私は号泣していた。この日のために用意したアミボムを振ることも忘れ、ひたすら涙でぼやける視界を擦ってユンギさんを見ようとしていた。
もうここからは記憶がない。SDLのでかいリップ音しか覚えていない。
とにかく最高だった。私はとんでもない人を好きになってしまったと思った。
この瞬間を最後に死んでもいいくらいだった。
感情大爆発のまま友達にLINEしたら「推しに情緒をかき乱されたオタクの模範例としてオタク博物館に展示されるべき」と言われた。
4日のストリーミングも後日配信もしっかり全部見て、しっかり毎回泣いていた。
ソウル公演、そして
6月24、25のソウル公演。我々がこれがファイナルだと思っていた公演だ。
「ユンギさんに会えている人が存在する」という現実と超えられないディスプレイに絶望しながらも、決してこの瞬間を見逃すまいと覚悟を決めた。
コンサートを重ねるにつれてアミの扱いを分かってきたミンユンギに悶えながら、いつも通りに公演を楽しませていただいた。私の方にも割と余裕が出てきたようで、泣くことなくユンギさんを眺めることができた。
そしてコンサートは終演を迎える。終わってほしくないな、と思っていたけれど、風邪をひきながらもここまで頑張ってくれたユンギさんにその言葉を発するのは憚られた。
しかし、その考えは、全ユンギペンに通ずるものだったらしい。ユンギさんにもその声は聞こえていたようだった。
追加公演が発表された後、私は「だいすき」「しあわせ」「かねかせぐ」の三単語しか言えなくなっていた。
ここまでオタクの戯言を散々吐かせてもらった。読んでいただいた方はありがとう、そして申し訳ない。
こうしてふざけた物言いで言わないと、正気を保てないのだ。
ここからは、すこしだけポエミーな文章を書かせてもらいたい。
ファイナル公演でもらったものの大きさ
ユンギさんが声を詰まらせた。見たことのないお顔だった。
あ、やっと泣いた、と思った。
AMYGDALAを初めて聴いた時にふと思ったのだ。ユンギさんは、泣けているんだろうかと。
ユンギさんのことを少ししか知らない私が聞いてもこんなに苦しくなるんだから、当事者のユンギさんはこの数百倍も苦しかったはずだ。
それなのに、辛い過去をわざわざ記憶から取り出して、音楽というものに昇華できるなんて強すぎる。
更にそれを全世界に発信して、MVでより鮮明に感情を描いて。その上、世界中のファンの前で大声で歌う。
苦痛が伴わないはずがないだろう。なのに、彼はやってのけた。
D-DAYツアーは、彼自身のためのものだった。
ユンギさんが彼自身を乗り越え、チャプター2に進むためのひとつの方法だった。彼は、ちゃんと自分を大事にして、治療をしていたのだ。
私は泣いた。信じられないくらい嗚咽した。
彼が成長痛を乗り越えようと必死にもがいているのを見て、勇気をもらった。
ユンギさんは泣きながらも、歌うことをやめなかった。ずっと歌おうとしていた。
彼の目には、ちゃんと光が見えていたからだ。手に届くところまで希望が来ていたのだ。
ツアーのクライマックス。
白い扉が現れ、ユンギさんが行くべき一つの行き先を示した。
ユンギさんはわたしたちを愛おしい目で見つめ、何度も何度も「ありがとう」と言って回った。
そして、歓声と紙吹雪の中、彼は安堵の表情を浮かべながら、
「自分の手で」扉を開けた。
まるで、「外で待ってるぞ」と言うように。
部屋の中に残された私たちに、未来はきっと大丈夫だと身をもって証明してくれた。
私は今、夢を追っている。
実力が伴わない熱量で、毎日凡人なりに頑張ってみている。
でも時々、いや、1日に一回は必ず、「自分はこれでいいんだろうか」「こんなことしてる間にもっと有意義なことできたんじゃないか」と思ってしまう。
自分のやりたいことができる環境に身を置かせてもらっているのは本当にありがたいと思っている。でも、将来、その支援に見合う成果を出せる気がしないのだ。
こんな幼稚な夢を追っかけてる時間があるなら、何かしらの資格を取って高給取り目指せばいいのに。でも、そんな生き方したくないのだ。面倒臭いやつである。
でも、ユンギさんはこんなやつを見捨てなかった。
「俺はやったけど、お前は?そこで終わっていいんだ?」と煽ってくるのだ。
だから結局私は夢を見てしまう。
ユンギさん、あなたのせいです。
あなたがあんまりにもかっこいいから、私も憧れてしまったんです。
もう後戻りできないところまで来ちゃっています。
常に不安が付きまとっているけれど、あなたが後ろから支えてくれているのでなんとか頑張れています。
やりたいことをやりたいと言える勇気をくれてありがとう。
あなたが表に出てこない間に、私は全力で表に出られるように努力します。私は諦めません。
ユンギさん、愛しています。
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