シュガさんと言葉
いつかのV LIVEでシュガさんが言っていた。
「心理カウンセラーの資格を最終目標に、哲学、心理学、脳科学を学んでいる」
そんな彼の発する言葉はとても優しい。じっと人を見つめて、彼が持っている分厚い辞書をめくり、かける言葉を探す。
彼は決して人との対話を諦めない。
私は思うのだ。彼のこの優しさは、彼が直面した厳しい世界に比例しているのではないか、と。
後輩にこんな言葉をかけたい、自分と同じように辛い目にあっている子に絶対にかけてあげたい言葉がある。
どうしてあなたはそんなに優しいのか。そこがどんな泥沼であろうと、袖が汚れるのを全く気にせずに引き上げてくれる。そういう顔を見せてくれる。
もしそれが計画立てられた言葉だとしても、それでも、数えきれないほどの個人を救ったことに変わりはない。
彼の本心を知ろうなんて無理だ。私たちが目にできるのは、編集された彼だけだ。
彼の音楽はとても具体的だが、それも選ばれた情報でしかない。
彼は、大きなトラウマとなった出来事を抱えていた。
新しいアルバムで「もう大丈夫」と言ってくれた。
彼を大丈夫にしたのは、単なる時の流れか。それとも、私たちにとってのシュガさんのように、誰かの存在があったのか。
彼の口から語られない限り、それは分からない。語られたとしても、それがどこまで本当の話なのかは分からない。
シュガさんは言葉を大切にしていると私は感じている。
彼の配信には、末っ子のようなコロコロした可愛らしさはない。その代わりに、静かで穏やかな大人の時間が流れている。
私たちの心の隙間にふらっと訪れ、キープボトルを開けているような感じ。
彼は思ったことをすぐそのまま口に出すタイプの人ではないと思っている。どういう言葉選びをして、どういう順序で伝えるかなどをシミュレーションしてから話してくれている気がする。完全に私の憶測ではあるが……
その性質はもしかしたら彼自身の選択ではなく、自分の社会的地位からくるものかも知れないが、それでも私は彼が選ぶ言葉のセンスが好きだ。
分からないけど。
特に、Outro;Wings の彼のラップは素晴らしい。
私なりの解釈が大いに含まれているが、まあ大体こういう歌詞である。
改めて読んでみると、驚くほど純粋な応援歌だ。
でも、この歌詞はそれだけではない。言葉の隅々に、痛みが満ちていると私は感じてしまった。
痛みは共感につながる。彼の言葉は、感動ではなく共感なのだ。
シュガさんが「ああ、辛いな、痛いな。でも俺が言うんだから間違いない、お前はまだ走れる」とゴールテープの向こうから叫んでくる。
嫌なぐらい説得力があって、諦めるという選択肢はグラウンドの向こうにかなぐり捨てるほかない。
周りの環境を超え、遠くを見て音楽を目指した彼は、私の世界を広げてくれた。
どうして、一度も会ったことがないのに、母国語も違うのに、どうしてこうも心揺さぶられるのだろう。
この訳のわからない感情こそが、創作の根源なのだろうか。そうであったら素敵だ。
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