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いつでも、なんどでも 『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』を読んで。

僕が生まれた時から「ゲームと言えば任天堂」だった。
物心ついた時にスーパーファミコンはあったし、友達でゲームボーイを持ち寄って遊ぶ。誰かの家に行けば64でみんなでゲームを遊ぶ。
そんな任天堂ゲーム真っ盛りの中で育った人間だ。

初めて僕が岩田さんを認識したのは、スーパーファミコンで出た『星のカービィ スーパーデラックス』のスタッフクレジットだったと思う。
岩田さんの名前は、プロデューサーとして「宮本茂」氏と並んで画面に映っていた。
偶然にも僕の父親の名前が「茂」だったために、他の名前よりも印象的だったのだ。(言い方は悪いが、宮本茂から連想して岩田さんの名前を覚えていたということになる)


先月、ほぼ日刊イトイ新聞より岩田さんのたくさんのインタビューや「社長が訊く」を抜粋してまとめた書籍『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』が販売された。

ずっと前からこうした岩田さんの話はしっかり読んできたつもりだ。
だが1つの本になり、そしてゲーム開発者として働いている、いま改めて読んでみると、岩田さんの言葉への僕の思いはとても変わってきている。



岩田さんはとにかくすごい人

岩田さんの話はどこを読んでも「とにかくすごい人」「その通りだな!」ということばかりだった。

例えば「社長が訊く」の中でも、僕の好きなゲーム『パンドラの塔 君のもとへ帰るまで』を取り上げた回があるのだが、岩田さんのゲームつくりに関する話は、とても好きだった。

中野 はい、そのとおりです(笑)。
世界観の設定はすごくよかったんですが、
はて、これをどうやってつくっていこうか・・・と。
枠組みとしては『ジャンプ』のときと同じだったので、
ふたりでなんとかやっていけるんじゃないか、
というところだけを希望に着手したのを覚えています。


岩田 
普通、こういうはじめ方はあまりしないんです。
任天堂の内作チームのつくり方からすると、
ゲームが先で設定があと、というケースがほとんどなんですね。
また、ゲームの軸がクリアじゃない状態ではじめてしまうと、
だいたい迷走するので、本来はやってはいけないことなんですよ。
岩田 多分、つくり手の都合で設定を曲げると軸がブレるんですね。
逆に原作として受け入れれば、そのなかでは筋がとおるから、
変な違和感がない状態になる、ということなんじゃないでしょうか。

当時はまだ学生だったので「あぁ、こういう風に原作付きゲームを解釈するのだな!」と、ただそれだけではあったが、この辺は原作付きのゲーム開発をした今の自分でもとても納得がいく話だ。


また、家庭でのゲーム機の在り方、ゲームの認知に対する考え方も、他社の経営者や身の回りのゲーム開発者とは全く異なるものだった。

岩田 昔、ゲームがとても勢いがあったといわれてたころでも、
私はゲームと関係ないと感じて、ゲーム機にまったく触らない人たちは
たくさんいたわけです。
そういう人にさえ、なんかこの機械は邪魔じゃない、むしろ、自分にとって有益なものだと思ってもらいたい。で、その結果、日常的に触ってたら、いつの間にか、ビデオゲームおもしろさを理解することになった、という人が増えたらすばらしいなっていうのが、真剣に思っていることですね。

まさにゲーム&ウォッチ誕生そのものであるが、現代で言うとスマートフォンゲームがこれを体現しているだろう。
こういった先見性や物事を他者とは違うアプローチで解決していく岩田さんの姿は、当時の僕をとても熱くさせていた。

ただ、ゲーム開発者となった今、岩田さんの言葉のいくつかは、そのまま受け取ることはできなくなっている。


もう1度、岩田さんの言葉を考える

ゲーム開発者として働いていると、岩田さんの言葉をそのまま実現することの難しさを痛感している。

例えば、有名な話ではあるが、「プログラマーがノーと言ってはいけない」は読んだ時と違い、大いに僕を悩ませている。

プログラマーが「ノー」と言ったら可能性を閉ざしていくことになるというのは事実なんですが、あらゆる開発の条件は無限ではありません。ゲームづくりというのは、有限の制約のなかでやるものです。だから、ほんとうにできないことは「できない」と言わなければいけない。
できる可能性があるとしても、「できるけど、これが犠牲になるよ」とか、「できるけど、これとは両立しないよ」といったことを、きちんと理解し合ったうえで進めていくべきだとわたしは思います。
そういったことを、「プログラマーはノーと言ってはいけない」ということばとセットにしておいてほしいですね。間違っても、「プログラマーはできないって言うな!」というふうにならないように。

「できない!」とその場で開発を止めてしまえば、新しいアイデアは実現しないし、試行錯誤をしていけば達成できる場合もある。だけど、本当にできないことは正確に伝えるし、できる場合でもそのメリット・デメリットを話そう、ということだ。

読んだ当時は確かにその通りだとなにも違和感もなかったし、業界外の自分からすれば、岩田さんがそういってるんだし開発者はみなそういうものだとばかり思っていた。

だが、実際にゲーム業界で働いてみると、岩田さんの話はどこでもそうとは限らない。

僕がプランナーという職種上、プログラマーとは上に書いたようなやり取りをよくするが、「とにかくできない」と一方的に断られてしまい、「どこがダメなのか」まで深掘りできずに終わることもある。理由を聞いても、僕が理解できなかったこともたくさんある。
「できます」と言われていたが、その後に考慮漏れや想定外のエラーが発生して「できなくなった」こともある。
プログラマーとしっかりできること・できないことを握った後に、他セクションの都合で開発を巻き戻したことも、いくらでもある。

そうした経験を踏まえて本を読むと、「岩田さんはああいってたけど、可能性を閉じてしまうパターンって他にもいくらでもあるんだな」ということに、僕は気づいたのである。
実際にやる側にまわって、それをやることの難しさがわかり、表面上での理解しかしていなかったのだと認識を改めた。

他にも、やることの難しさを痛感するのが、「ゲームのわかりやすさ」である。

自分たちのプラットフォームにおいて
わたしたちがすごく意識しているのは、
「動作を保証できるハードとソフトの組み合わせ」があり、
「同じマナーで操作ができる」という点から、
「子どもさんからお年を召した方まで説明書を読まなくても遊べる」ということです。


Nintendo Switch本体のUIデザインは、上の岩田さんの言葉をとても良く表している秀逸なものだと思う。説明書を読まずとも、画面だけ見ていればゲームで何が起きているかがわかるようでデザインされているのだ。

とかく、誤操作を防止するため、たとえば「データを消去しますか?」という処理に対し、最初に「いいえ」にカーソルが合うのが一般的な考えかた。しかしニンテンドースイッチでは、ユーザーの“終了したい”に対し、本体側も「はい!終了します」と作動する。「本当に終了しますか」とメッセージを出すことは、ユーザーを信頼していない疑問形というわけなのだ。

言われてみれば、当然そうだよなとも思う。
たった1つのボタンテキストの話だが、実際に自分が業務で設計した画面レイアウトなど正直そこまで「気が回らない」ことが多く、今は「あの時つくった画面わかりづらかったなあ」と後悔が絶えない。

こうして岩田さんの話を同じゲーム開発の経験を踏まえながら、もう1度言葉の意味を考えることができるのは、とても貴重なことだと思うし、何より僕にとって非常に「気づき」が多いアプローチになっている。
『岩田さん』の中にある言葉を通して、いま・むかし・これからの自分を考えなおすきっかけが生まれているのだ。


「これから」も向き合える本

DeNA社との資本提携やNintendo Switchの登場など、岩田さんが生前進めていたことはゲーム業界に様々な変革をもたらしている。
任天堂IPがスマホゲームで遊べたり、「携帯機」として大ヒットした3DSから「携帯でもTVでも」のSwitchへ、ゲームを遊ぶ環境は大きく変わっている。

だからこそ、やっぱり僕は今のゲーム業界を見た上で岩田さんが「これからどうなる」を話す言葉が聞きたかったし、ようやく今なら「岩田さんはそう言ってるけどさあ」と、曲がりなりにも自分の言葉で考えることができただろう。

いつかまた『岩田さん』を読んだ時、また僕はなにかに気づき、「ああ、岩田さんはこういう風に見ていたのか」と、その時の自分を見直すのだと思う。
きっとこの本はいつでも言葉を投げかけている。

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