命を預かるという仕事
2024年1月2日午後5時47分、羽田空港にて日本中が震撼する飛行機事故が起きた。
前日に起きた能登半島地震による被災地に支援物資を届ける為、羽田を飛び立とうとした海上保安庁の飛行機と着陸直後の民間航空機が衝突した。
事故で亡くなった海保職員の方々のご冥福をお祈りします。
私は当時、成田空港にいた。
制服に着替え、正月から始まる自身のフライトの準備を溜息混じりにしていた所、友人からLINEメッセージが届いた。
「やばい。羽田の滑走路で飛行機が燃えている。」
すぐにネットニュースと滑走路のLIVE映像を確認した。
その言葉通り、飛行機が燃えていた。
衝撃的な光景だった。
それでも私は自分のフライトをこなさなくてはならない。
ブリーフィングデスクに向かうと、同乗予定のクルーが仕事そっちのけで事故の話していた。
普段自分が乗務している飛行機が炎上しているなんて信じられなかった。
「こんな現代に飛行機事故なんてある訳ない」と思いながら十数年間航空業界に勤めていた。
急に顔面を殴られた様な、冷水を頭から掛けられた様な、予想もしていなかった事故だった。
大好きだった飛行機が急に恐くなった。
この後始まる6時間のフライトが安全に終わる事だけを考えた。
いつもはすぐに事務所を出るが、この日はメンバー全員で念入りに緊急時の非常口の操作や、非常用装備品(救急箱や消火器、酸素ボトルなど)の配置を確認した。
「命を預かるという仕事」について考える
今回の事故で、乗客乗員379人全員が無事に脱出出来たのはパイロットやCAのおかげだと賞賛されている。
緊急時に動画や写真を撮る行為は本来であれば控えるべきものであるが、駄目だとは分かりつつもニュースやXで観漁ってしまう自分がいた。
「はやくあけてください」「あければいいじゃないですか」と周りから煽られても冷静に指示を出すCA。
煙に対して「口を覆って」「姿勢を低くして」と叫ぶCAの声は少し不安そうで、自分の命も危険に晒されているのにとても勇敢な姿だった。
機長はあの状況であっても取り残された人がいないかを最後尾まで確認して脱出したと言う。
全てはマニュアル通りである。
けれど、緊急時にマニュアル通りの事が出来る人はいない。
本当に、同業者として尊敬するし彼らの存在があったからこそ379人全員が脱出出来たのだと思う。
私はそう感じると共に「自分が当事者だったら同じ様に任務遂行が出来ていただろうか」と不安になった。
プレッシャーに押し潰されて自分がパニック状態になってしまっていたら、お客様は助からなかったのではないか。
窓の外に火災があるにも関わらず非常口を開けてしまい二次災害が起きていたのではないか。
自身のパニックコントロールが至らず、手荷物を大量に持ち出したお客様が発生し全員が脱出出来なかったのではないか。
そもそも日時やスケジュールがズレていて、自分の乗った飛行機が当事者になり得たのではないか…
様々な妄想をすればする程、最悪な光景しか浮かばない。
けれど、客室乗務員という仕事は長年夢見ていた仕事なのだ。
華やかな部分が目立つ職業だが、元々は保安要員として任務を遂行しなければならない事を思い知らされた。
この仕事についてからこれと言って大きな事故はなかった。
機長が殉職された千歳便ハイジャック事件や9.11は遥か昔の出来事であり、自分が生きる現代には無縁な物だと思っていた。
自分の携わる仕事が「人の命を預かるという仕事」だと再認識させられる事故であった。
CAはお茶汲みではなく保安要員である事を知って欲しい
CA(客室乗務員)は空のお茶汲みと言われていた時代もある。
実際にマッチングアプリで一悶着あった男性からそう言われた事もある。
けれど私達CAは入社してから一人前になるまでに8割の訓練を保安訓練に費やしている。
コーヒーの注ぎ量やお辞儀の角度なんて訓練はほんの一瞬であり、訓練の殆どは「それでお客様の命を守れますか?!」と罵声を浴びせられながら、時に涙を流しながら耐えている。
今回の事故を受け「何ですぐにドアを開けなかったの?」「手荷物を持って逃げちゃいけないの?」など、疑問が多い方もいると思う。
「もう飛行機に乗るのが恐い」と感じる方もいると思う。私だって恐い。
CAさん達は正しい判断をした、飛行機は恐くないと思って貰える様、私なりに噛み砕いて話したいと思う。
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