東京記録雲

「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観た

(ネタバレあります)


頭で考えている通りに物事を進める、というのはなかなか難しい。

人生、「計画通りに」とか、世の中の「普通」という概念の中をそのまま進むのは難しいのだ。


それは、わたしたちが生きていて、それが、生きることそのものでもあるから。


「普通」の概念は、誰もが当てはまりそうで、その実、誰でもない。

そこに当てはまる人が誰であったとしても変わらない。

ほかの誰かがその人にすり替わったとしても、大丈夫である。


情報があふれた今の世界では、選択するのも難しくて、その「普通」にあてはめることで、安心を得られるのかもしれない。

しかし、「普通」からはみ出した、想定外の出来事に出くわした時にこそ、人の本質が垣間見える。

ほかの誰にも当てはまらないその人だけに起こる出来事だし、マニュアルはなくて対応する時間もないことで素が出るのかもしれないし、とにかく、その人本人でなくてはならない瞬間が訪れる。


「リップヴァンウィンクルの花嫁」の主人公は、家族や周りの影響か、世の中のせいか、なかなか「自分」を出すことができない、七海。

表面上の情報ばかりの世界でうまくいかず、けれど自分(おそらく自分であると思っていたであろう)を出せる唯一の場所もまた、ネットという情報の海の中だけだった。

七海はとてもまっすぐで信じやすい。
日々に違和感を感じながら暮らしていたのだろう。

そんな七海と、本当の友達になろうとした、真白。

一見すると、正反対に見える二人。
けれども、二人の根底にあるものは似ていて、同じところをさまよっているような二人でもあった。

七海と真白を引き合わせた、「安室」と呼ばれる、本名を明かさない男。

彼もまた、情報の海の中、つまり、自分である必要のない世界に、そのことを割り切りながら、生きている。

けれど、ごくたまに、情報とはちがう「自分」の表情を見せたりもする。
…気がする。

割り切りという、ある種の反逆ともとれる行為を続けながらも、実際は、その世界の1つの駒でしかない自分。

しかし、それを続けていくことしかできないというのもまた事実であり、彼にも人間らしさや、割り切ることのできない何かがあるのか、と思わせるが、結局はどこまでが本当か、嘘か、わからない。(そういった部分までも、「ネット」のようである)


「リップヴァンウィンクル」とは、真白のハンドルネームであり、寓話でもある。

その寓話は「アメリカ版 浦島太郎」とも言われる話。

自分のことを「リップヴァンウィンクル」と呼ばせていた真白は、リアルな世界がまぶしすぎて、取り残されていると感じたのだろうか 。

最期くらいは、竜宮城で思う存分自分らしく生きて、20年くらい飛び越えてみたかったのだろうか。

整形し、身分を偽って、名前も変えて、それでも通用してしまう、嘘だらけの世の中。

真白はきっと願っていたのだろう。

整形する前の元々の自分にどこか似ていると思った(と予想)七海が、同じように宮沢賢治の物語からハンドルネームをつけた七海が、今の場所から抜け出して、竜宮城から出てからも、幸せになれることを。

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』公式サイト

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