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「あー、これを食べるときが一番幸せ」

今一番好きな食べ物を聞かれたら、たまご焼きと答える。
それも卵2つに醤油だけで味を付け、少し多いかなと思うくらいの油を熱したところへジュッと一気に入れたら箸で大きく混ぜて、なんとなく形作っただけの適当なのが一番で、自分にとっておいしければそれでいいもの、それが好きな食べ物かなと思う。

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これまで直に接した中で最も尊敬する料理人の1人に、料理屋での修行を一度も経験せず、本からの知識と自ら歩いて得た体験、独学で身につけた技術でレストランを開いた女性がいる。お店はかつて関東北部の街にあった。

その街は豊かな自然に囲まれ古くから織物で栄えた歴史ある土地柄で、そこで生まれ育ち若い頃は東京で過ごしたという彼女の独特のそして抜群のセンスが、料理にもしつらいにも店の2階を住まいにしていた愛猫との暮らしにも隅々にまで行き渡って、もし仮に一軒でも飲食店を経験していたらきっと省かれたりいずれやらなくなったりするような仕事が、ただひたむきに当たり前に続けられていた。

そこへ初めて行ったのは、昔その店でアルバイトをしていたという友人の「あなたはきっと気にいる」という熱心な誘いがきっかけで、料理の仕事を始めて4年が経ち少し分かったような気になりかけていた私は、友人の見立て通りそこに広がる世界観にたちまち心酔して、以降勤め先のレストランが連休になると一人包丁を携えて、その店へと通うようになった。

自然から料理を創造するといわれた天才料理人ミシェル・ブラスの存在を当時まだ知らなかったけれど、その女性もまた自然に学びその美しさを料理に映す、そしてそのための努力を少しも惜しまない、そういう料理人だった。

「若い時は大して味もわからず、やたらと腹は減るけどお金もないからどうにかして腹を膨らませることだけに精一杯で、よし稼げるようになったら美味いものをたらふく食べてやろうとがむしゃらに頑張った。なのにようやく美味しいものがわかり始めてそれを食べられる位の稼ぎができるようになる頃には、今度は年で段々量が食べられなくなってくる。つくづくうまくいかないもんだ。」

そうよく言った彼女が美味を追求する中で行き着いた好きな食べ物、それはお客さんにごはんを出したあとの土鍋のおこげとわずかに残った米粒に少しのお湯を入れてこそげて重湯のようにしたもので、「あー、これを食べるときが一番幸せ」といつも本当に嬉しそうに食べた。

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世の中においしいものはたくさんあって、私も日常的に「おいしい」という言葉を口にする。
それはどれも確かにおいしくて、かつそのおいしさの素晴らしさは自分以外にもそう感じる人がいることを知り互いに共感できること。おいしいの幅はあればあるだけ様々な人たちとおいしいを分かち合える楽しみが増えていい。

だけど、好きはもっと狭い、狭くていいものだと思う。選んでそこへ行き触れて感じるのはあくまで自分。
たくさんの共感の中で自分に合うもの本当に好きなものが見分けられたなら、幸せな瞬間をもっと自分で増やしていけるはず。

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思えば彼女と私の世代の差は親子ほどもあったのかもしれない。年なんて聞いたこともなかったし、友人も知らないと言う。

でも、不思議と馬があった。
私が言うのはおこがましいがでも単純な話そういうことだったんだと思う。全ては友人の見立てから。とても感謝している。

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