1月17日 (木) 淡々と

なかなか昼夜逆転から抜け出せず昼ごろに起床。起きてすぐにスタジオを予約して、大根とアボカドのサラダ、赤かぶとかぼちゃの豆乳スープ、マッシュポテトで朝ごはん。食べたらすぐに出かけた。

1時間ドラムを叩く。まだまだバスドラムがあまい。終わってすぐあしたの予約をした。そのまま歩いてららぽーとに向かい、楽器屋さんにテレキャスターシンラインを預ける。トーンコントロールの修理と、ノイズについて調べてもらう。

ららぽーとの中のスターバックスで2時間ほど求人サイトとにらめっこする。毎回なんだかんだ選考は進むには進むので、1社ずつ受けていると求人サイトをみる間隔も開いてしまう。ひさびさにみていたら、じぶんの気持ちがすごく変わってしまったことを感じた。

じぶんを納得させるためにも、とりあえず選択肢を減らしていくということをここしばらくは続けていたように思う。いまはとりあえず健やかにすごせればそれでよいのではと思う。仕事終わりに家で制作をする時間が少しでもあって、節約すれば機材が少しずつ買えるような生活が実現すればよい。あと今年中に引っ越せるくらいの貯金ができればなおさら。

生きていくことと働くことの関係を、それこそデザインやコンテンツのように美しく描いていくことを否定するわけではまったくないし、どちらかといえばそういったものへのあこがれを長い間抱いていたことは否定できないけれど、すべてのひとがそういったくらしをしているわけではない。ニュースにもストーリーにもならなくて、ましてやコンテンツにもならないような人生というもののほうが、いたって当たり前にそこらじゅうに存在している。そのことに、汎コンテンツ社会のようないまは忘れてしまうように思うけれど、もれなくじぶんもそういった光もあたらなければバズも起きないような生活をしている。むしろそのことに感情やロマンチックなものを感じないでどうする、と思う。淡々としてこそがリアルだろうと。それは岸政彦さんの「断片的なものの社会学」を読んでつよく思ったことだった。

目がくたびれたので歩いて家に買った。2時間ほどバイオリンの練習をして、スープの残りと玄米ごはん、納豆、豆腐で晩ごはんを食べる。そのあと30分ほどピアノを弾いてから、デモのピアノの譜面を書いていく。シンプルなコードでも1音ずつ考えて並べていくのは、とても地味だけれど納得感がある。

湯船につかりながらTom Mischを聴いて、風呂上がりにストレッチをしながら宇多田ヒカルの「初恋」を聴いて目が覚める。なんだか触発されてコードを拾ったりミックスをやり直していたら朝になってしまった。

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