12月15日 (土) 自宅録音とアジャイル

きのうは朝の7時までミックス作業をしていたので、起きたのは13時ごろ。録音に関しては肉体労働なのである程度限界を見つけられるけれど、ミックス作業は頭脳労働なのでついついいつまでもやってしまう。

さつまいもをふかして朝ごはんにしてから、バイオリンの練習と録音を2時間ほど。気になっていた部分を録り直し、一本つけ足す。それにしてもまだスピカートに納得がいかない。今回はそこまで目立つ部分ではないので、及第点下ぐらいできりをつけることにした。練習は続ける。

お昼にスープをつくってから、ミックスの続き。仕上がりが見えてきたので、集中して1時間半ほどでまとめた。できあがったものを友だちに聴いてもらうように送る。わりと気に入ってもらえたよう。

これまでは、レコーディング、ミックス、マスタリングのそれぞれの工程が終了してから次に行こう、という気持ちで取り組んでいたけれど、今回はある程度の仕上がりでも一度2mixをつくってしまうことにしている。そのほうが日常の中でなんどもできあがったものを聴くことになるので、問題点を見つけやすい。

あまり音楽で言われているのはみたことはないけれど、ウォーターフォールやアジャイルといったことばで表現されるような進行方法についての考え方は、録音作品においてもとても意味のあることだと思う。ウォーターフォール的な考え方では、録音の工程はそのプロセス内で完全に終了してしかるべきであって、ミックスの段階になって再度録り直す、といったことはない。それぞれの制作環境や作業にあたるひとが異なる場合は、こういったやり方がいい場面が多いと思う。何よりそれぞれの工程担当者の責任が問われるので、緊張感も生まれやすい。

自宅録音の場合は、作曲からはじまるすべての工程をじぶんがやることになるので、いくらでも逆戻りできてしまう。ミックスというのは精読ならぬ精"聴"に他ならないので、聴き込んでいくうちに録音の時に気がつかなかった問題を発見しやすい。演奏及び録音者がじぶんではない場合は、なんとか編集で乗り切ろうとするだろうけれど、作業PCのすぐ横にギターがあるものだから、「じゃあ録り直すか」と楽器に手を伸ばして、また録音をはじめてしまうことが度々ある。それはいいものを作るためには真っ当なことではあるのだけれど、泥沼化してしまう場合もあると思う。

早いうちに2mixをつくっておくと、仕上がりのイメージと成果物の差異についてとても客観的になることができる。演奏の良し悪しや構成や編曲についての自己批評は、ついつい悪い方向に考えてしまいがちだけれど、実際に再生時間がカウントされた音声データとしての音楽がデスクトップ上に現れると、とりあえずは音楽のかたちを成しているものとして、悪くはないところがみえてくる。そこから彫琢を重ねるにせよ、モックアップとしてすでにかたちあるものが手の中にあるわけだから、改善点が明確化されやすい。今回はじめてこの方法で意識的に進めていこうと思っているけれど、実感としていい予感がする。

そのあとスーパーへの買い出しから帰ってきてからは、ガットギターを弾く。きょうは録音だけにしようと思っていたけれど、リズムギターの録音だったので、練習がてら歌いながら定まっていない歌詞を書いていく。2時間ほどあれこれ試行錯誤して、ようやくしっくりくることばが見つかった。そのあと録音をはじめて、1時間ほどで仕上げる。夕飯前にはボーカル録音を1時間ほど。できたての歌をうたうときにはそわそわする。

先週の粋な夜電波をradikoのタイムフリーで聴きながら夕ごはんをつくって、ピアノを90分ほど弾いた。寝る前にBill Evansの「Alone」と「Alone(Again)」を聴く。けっきょくこの時間。

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