2月25日 (月) i might be wrong

アカデミー速報に胸が鳴る午前中。『ブラックパンサー』受賞陣はほんとうに納得という感じ。キュアロンの受賞もうれしかった。『グリーンブック』はまだ観ていないのでなんとも言えないのだけれど、『ROMA』がとってほしかったな。

お昼ごはんはかぶとほうれん草のお味噌汁と玄米ごはん、大根サラダ、りんご。食べてからハローワークに出かけた。持参した書類に不備があり、手続きできないとぴしゃりと言われてしまう。離職票が会社から送られてくるのにも2ヶ月かかったので、生活に関する手続きが丸々2ヶ月することができず焦っているので、なんだかうちひしがれたような気持ちになってしまう。窓口のひとによると、通常離職票は退職後10日で送るべきものなのだそう。調べてみると、送らなかったからといって会社への罰則がないため、なかなか離職票を送らないことはままあることなのだという。

先週催促連絡をしたのだけれど、その時もたぶん別の担当者のメールをコピペしたものを「お疲れ様です」と「どうぞよろしくお願いします」で挟んだだけなのだろうと思われるメールが返ってきて、なんだか心底がっかりしてしまった。その書類がないおかげでぼくはかなり困った状況になるというのに、なにか感じたりしないのだろうか。

ハローワークを出て、しばらくどうしたらいいんだろうと呆然としてしまう。でも、思い返せば起こりそうなことではあったなとおもう。あの場所にいたときになんども言われたのは、組織として動く以上じぶんじゃなきゃできない仕事というのを極力なくさなくてはいけないということだった。日々マニュアル作りに勤しみ、タスクの標準化を徹底し、誰がやってもできる状態に業務フローを整えること。その結果責任の所在は曖昧になり、アサインされていないタスクに対しては無関心のひとが多いように思った。たぶん、今回のことも責任が曖昧なままだれも手続きしなかったのだろう。

こういった、明らかにじぶんの存在というものがないがしらにされたときに、ぼくは素直に怒ることができない。じぶんというものの中に確かに怒りのようなものはあるのだけど、それにどう対処したらいいのかがわからなくなってしまう。たぶんじぶんが悪いのだろうと黙ってその場から去ることがほとんどだ。

でも、もしその場で感じた違和感を相手に伝えて、なにか建設的な提案のようなものができれば、本当はもっとよかったのかもしれないなと思ってしまう。立場が上のひとに感じた、明らかにそのひとが間違っていると感じたことや立場を利用したおごりや不誠実さに対して、なにか意見を言ってもよかったのかもしれないと。

それは仕事に限らず他の人間関係においてもそうだとおもう。すこし前、仲のよかったひとが自販機横のペットボトル用のごみ箱にコンビニ袋に入れたごみを入れるの見てしまったことがあった。そういうのはいやだな、とおもったのに、ぼくはなにも言わなかった。もしそこで、ごみはちゃんと分別して捨てようよ、と言うことができたなら、そのひととの関係もすこし変わっていたのかもしれない。言えないのはたぶん、そうすることで、じゃああなたのこういうところはどうなんだと、非難で返されるのがいやだからだろう。それはぼくの弱さだとおもう。

ぼんやりベンチに座っていてもしょうがないので、こういうときは不条理を笑い飛ばすような映画をみるに限るとおもい、『女王陛下のお気に入り』を観に行った。これまでのヨルゴス・ランティモス監督らしさでもあるユーモアとペーソスをたっぷり味わいつつも、今回は哀愁成分が多めだったなとおもう。

家に帰ってからはマンドリンを録音して、バイオリンの練習とピアノの練習。夕飯は昼ごはんの残りとにんじんサラダで簡単に済ませた。早いところ寝てしまおう。Weyes Bloodを聴きながらストレッチをする。

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