9月12日 (水) ロック的、なもの

朝ごはんを食べてからは1時間半ほど楽典の勉強をする。楽しくなってきた。そのあと1時間ほどバイオリンの運指練習をして、昼ごはんをつくって食べてからは30分ほどピアノの練習をして、そのあと仮歌を1曲録音した。

昼過ぎには近所のファミレスで面接に向けての資料作り。2時間ほどじっくり向き合って、作業を終える。そのあと幡野広志さんの連載を一気によんで、ファミレスの端っこで打ちひしがれた気持ちになる。

家に戻って晩ごはんをつくって食べてから、2時間ほど録音をする。集中してバイオリンを重ねていくけれど、あたまの中で浮かんだフレーズをきれいに弾けるようになるまですこし時間がかかってしまった。今回はとにかくバイオリンを弾くと決めている。

21時過ぎには音を止めて、野菜が足りなくなってきたのでスーパーで買い物。パイナップルが安くなっていたのでデザートに買った。

帰って来てから家事をしながらkyoooさんの「屋上から」を聴いた。買ったのはたしか数年前の夏で、ちょうどSpoonの「They Want My Soul」といっしょによく聴いていたと思う。すごい組み合わせだけれど。そのときはたらいていた職場のこととか、青山で仕事があったのでその道すがらあたまの中で再生されていたのを思い出す。

「屋上から」にはいっている「ロックスター」という曲がとても好きで、パイナップルを食べながらぼんやり聴いていたら、いろんなことを考えた。

80年代ぐらいに生まれて、音楽が好きな子ども時代を過ごすと、テレビや雑誌の中には当たり前のようにロックスターというものがいて、ロックと呼ばれる音楽を聴き、それに憧れてギターを手にとったりすることが、音楽をつくりはじめるきっかけになったひとは多いと思う。日本の音楽も、海外の音楽も、ロック呼ばれるものがとても勢いのあるものとして、文化的にも経済的にも大きなものとして存在していた。

そういった時代を過ごして音楽をつくっているひとには、少なからず「ロック的な何か」を持っている、とぼくは最近とても思う。学生のときであれば、そういった同世代とバンドを組むなどして、それを発揮させて曲を書くことはそうむずかしくはないのだろうけれど、学生という年齢を過ぎてから音楽をつくる場合、どうやってそれと向き合っていくのか、というのが、曲をつくる上でのちょっとした引っかかりのようにして残るのではないかと思う。

住宅環境やライブハウスなど、いろんなことが重なって、バンドというのは続けていくのがとてもむずかしいというのは、少なからず日本で暮らしていると思うところがある。それは精神的な風土としても、というのも含まれてしまう。そうやって「ロック的な何か」をもったままひとりで音楽をつくりはじめるときに、どうやってそれに付き合っていくのかというのは、本当にいろいろなやり方があるのだと思う。

たとえば生ドラムの打ち込みでそれを達成しようとするひともいるだろうし、サポートのドラマーとのつながりをつくってライブに臨むひともいる。一方で、ドラムという楽器やリズムがなくても、その存在をとてもつよく感じる場合や、穏やかなリズムと音楽を奏でている中に、精神性のようなものとしてそれが宿っているのを感じるときもある。

kyoooさんの「ロックスター」は、ほんとうにいさぎよいくらいにシンプルにガットギター1本でストロークしていく。"ロックスターになれない私"が、"五線譜に文字ばかり書いて"、"歌うように生きる"、"隣の席"にいた彼/彼女へのあこがれをうたうこの歌は、そのあこがれの気持ちをもちながらギターを弾くということを、ほんとうに歌とギターだけで完璧に表現していると思う。たとえばこのメロディとコードを、そのままロックミュージックのフォーマットにのせることもできるのかもしれないけれど、この曲は歌とガットギターのふたつだけで、たしかに完成されている。

ロックスターになれないぼくも、かつて隣の席にいた彼/彼女にあこがれながら、いまでも静かに楽器を弾いて音楽をつくっている。その気持ちのすべてがあるようで、あらためて聴いたらとても胸に響いてしまった。ラストの"つぎ会うときはちょっと狭い場所で 新しい歌聞かせてよ"の歌詞には、なんというか打ち抜かれてしまった。

シャワーを浴びてからいろいろApple Musicで音楽を聴きながら本を読んで過ごした。気づいたら2時になってしまって、そういえばと思ってAppleの製品発表を中継でぼんやりみながら、気づいたら眠ってしまった。

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