9月21日 (金) 胸の中の小さなパリ

朝ごはんを食べてからすぐに作業がしたくなってはじめる。きのう転調させた曲を歌ってみるもしっくりこず、もう一度転調のパターンを考え直して、再度オルガンを録り直す。とりあえずのところコード進行は決定。

昼ごはんをてきぱきつくって食べてから、バスと電車を乗り継いで横浜美術館へ。いつぶりだろうか、奈良美智展を観にきて以来かもしれない。

「モネ それからの100年」、平日夕方だから大丈夫かと思っていたけれどなかなかの混み具合だった。モネが観れたのは満足だけれど、展示全体として"それから"の作品との結びつけがあまりぼくにとっては強く感じなくて、なんだか"モネ的な表現"の解釈の仕方が、すこし相性として合わないものが多かった。観客のひともモネ以外の作品ではわりとふーんと通り過ぎてしまっていて、もう少し構成が別のかたちだったらよかったのかもしれない。観終わって、地中美術館の睡蓮が観たいなと思ってしまった。

行きと帰りで、山内マリコの「パリ行ったことないの」を読み終わる。つくっている資料の関係で、パリについて考えている。カヒミ・カリィがあとがきを書いていて驚く。パリそのものよりも、パリ的なものに憧れをもつひとの気持ちがよく書かれていた。

帰ってから、午前に録ったもののBPMがなんだか遅く感じられてすこし早くすることにした。転調したキーとテンポでバイオリンを録り直す。2時間ほど。

晩ごはんをつくりながらBen FoldsがyMusicと演ったライブ盤を聴く。Rob Mooseのバイオリンの音色と技術にほんとうに魅了される。日本人のアオモリヒデアキさんのクラリネットもすごくて、どんな方なのかが気になる。

そのあと『間奏曲はパリで』『ニューヨークの巴里人』を続けて観た。フランス人の女性はいつも強い意思と頑固さで自由というものを身にまとい、男性は不器用さと格好をつけたい気持ちのあいだでいつも揺れている感じが描かれている気がする。

観終わって、たしかにぼくの中にもパリ的ななにかに憧れる気持ちはあるなあと思う。程度の差こそあれ、じぶんの中の小さなフランス、のような夢の国を、フランスの文化に触れたことがあるひとは持っているのかもしれない。

一方で、『アバンチュールはパリで』での犬のフンが道端で流されていくシーンだったり、『みなさん、さようなら』でマダムたちが下ネタを言い合って大爆笑している姿や、『ドリーマーズ』の瓦礫の山、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』に漂う死の匂いだったり、パリの街のきれいでないところや、違う世紀から積み重なってきた闇を感じる夜の黒であったりとか、そういったぞっとする部分も思い出してしまう。レオス・カラックスの撮る夜のような、とろみすら感じるロマンチックさと、悪寒なのか胸の高鳴りなのかわからないような闇。

ぼくの中で"パリジェンヌ"ということばからは浮かぶのは『アイム・ノット・ゼア』のシャルロッテ・ゲンズブールだったりする。ヒース・レジャー演じるディランがそれこそ転げ落ちるように恋に落ちていくのだけれど、あのシャルロッテのスマートで知的な佇まいの素敵さといったら。でもそれはアメリカ人が夢想するパリジェンヌ、といった雰囲気もあって、それに魅了される部分があったのかもしれない。あとは『こわれゆく世界の中で』でジュード・ロウが恋に落ちてしまうジュリエット・ビノシュの妖艶さ。それとあらためてオドレイ・トトゥを観てうっとりしてしまった。怒ってる顔がよい。

パリについて書きながら女優さんの話になってしまった。

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