喉元過ぎれば

暑さを忘るる。

流石に42年生きていると、
どの部分が今の私の「喉元」の辺りかが
解ってくる。

痛みや辛さや悲しみの
凄いやつに直面した時、
「いや、でもこれは前回の失恋ほどではなかったから、〇〇君の時ほど好きじゃなかったんだわ」とか言い訳する材料になったり、

「ううう、痛いよう、でもお産よりマシ。
具体的にはお産を100としたら今35.7くらい。
あ、全然いける。余裕。よし余裕!」
とか、なんだか分からない逃し方ができる。

そう、大人になって手に入れたものは
成功体験や喜びだけじゃない。
痛みやかなしみ、挫折、その他諸々の
「負のサンプル」だ。

そして、人は喜びや幸せについては
手放しで喜んでることが多いから
「いま、人生の1番ハッピーがアレだったから、
今回はそれに比べると87.0くらいかな。」
と過去のデータから基づいて比較することは
あまり多くない。

防衛本能と学びから、
人は失敗に基づいて成長しようとする生き物なのかなあ、と思う。

なんだけど。
なんだけど。

ぼちぼちその「正」も「負」も
サンプルがまあまあ貯まってきた時。

幸せの「正」のサンプルの方を値踏みし始める
自分にゾッとしたのだった。

底辺から這い上がるために、
「負」のサンプルからはじき出した
今の苦しみを鑑みて
「よし、これなら大丈夫、きっと今度だって乗り越えられる」って思うのは良いとして。

幸せの只中にいるときに
「ああ、いま大体今までの人生の幸せ度ランキングで言う所の4.5位だな」とか思っちゃうのって。

自分の理性に自分の無邪気さが覚める瞬間だなあと思う。

今の私のもっぱらの課題は

「悪いことは覚えておいてもいいけど
良かったことは忘れておいて、
いつでもlike a virgin (古い)の気持ちで
迎えていけた方が絶対良い」

です。

だって。
こんなの初めて、っていっぱい思える方が
きっとホントは楽チンなんだもん。