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図鑑と少女

私が小学4年生に進級してすぐの放課後。
ひとりで家へ帰る道、いつもの道草、雪解け水が心地好く流れる小さな農業用水路。今日はメダカでも探そうかと、湿った枯れ草の上に腹ばい、ひじとひざに冷たさを感じ始めた頃

「何してるの?」
と、上から突然、少女の声。

「わっ!びっくりしたぁ!」
仰向けに転回する私。

「ん?お兄ちゃん何してる?」
さらに、もうひとりの少女が。

「メダカいないかなって……見てた……」
「メダカ?ふ~ん……それいるの?いい?一緒?」
「うん、いいよ……」

今まで一度も会ったことのない彼女たち。恐らく、私より下の学年かな?私の妹は1年生だけど、それより上かな?かと言って1学年下の子たちは知っているので、2年生なのかな?

最初に話しかけてきたひとりは、目が細くて丸い顔、ちょっとぽっちゃりして、桃色のカーディガンの子。あとから話しかけてきたもうひとりは、赤いカーディガンの、目がぱっちりした小柄の子。
この近くなのかな?家?道草?
いや、どう考えても、この用水路で腹ばいになっている私に気づくのはすごいでしょう!

そんなこんなでしばらく一緒に探していると、あっ!いました!メダカ!
もともと、私、人見知りなのですが、彼女たち、勝手に懐いてきます。どうやら話さない訳にはいかないようです。ひい……困りました……。

「ああ面白かった!ねっ!また、遊んで!」
「えっ?いいけど……」
「じゃあね!」
「うっ……うん……じゃあ……」

この日から、彼女たちと何度か一緒に遊ぶことがありました。私が何かをするたび、私が何かを見るたび、とにかく、彼女たちのいろんな質問が飛んできます。

「へぇー!お兄ちゃん、なんで知ってるの?そんなに」
「うん、図鑑にあるから!」
「ズカンってなーに?」

当時、妹が保育園の団体購入割引で父に買ってもらった図鑑シリーズを、妹よりも読み耽っていた私。
植物、昆虫、動物……その原色に心奪われ、大きさや絵柄が若干異なるものの、図鑑に載っているものと見つけた実物とが一致した時の感動は、何物にも変えられない喜びでした。
そして、自分が知っているこのことを、ただ、話しているだけなのに、彼女たちは目をキラキラさせてくるのです。

「これは?」
「これは○○、足にくっついて自然と運ばれるやつ、人間だけじゃなくて、猫とか動物とかにくっつく」
「ふ~ん……じゃあ、これは?」

この日の帰りも、いつものように
「じゃあね!お兄ちゃん!またね!」
「うん!じゃあね!」

と……でも、これが最後の会話でした。
家に着いた私を待っていたのは、母からの想像もしえない言葉でした。

「あの子たちと会うのはやめなさい!」
「えっ?何?誰?なんで?」
「連れ回してガキ大将みたいなことをして恥ずかしくないの?」

……なんで見たこともないのに……そんなこと言うんだ……。
私は次の言葉を出すこともできず、ただ下を向いて涙し、何も答えませんでした。
それ以来、彼女たちとは会っても何も話しませんでした。
彼女たちも、きっと誰かに何かを言われたのかもしれません。

そして、いつのまにか、会うこともなくなりました。どういうことなのでしょう?それは私が中学を卒業するまでに一度も会うことがなかったのです。

私の記憶に残っているのは、お互いの兄弟や家族のこと、家がどこにあるのかも話さなかったことです。彼女たちの名前も、深い霧の中に包まれて、時々うっすらと見え隠れするかのように、かつての記憶にたどりつくことが困難な状態です……。

でも、ふとしたきっかけで、時々、思い出すのです。元気にしてるかな?大人になって、私のことも一緒に遊んだことさえももう忘れてしまったかしら?
もう二度と会うことはないでしょう。それでも、もし?と一筋の細い糸を思い出すのです。

次の少女へ続く……

2012年1月 飼い猫を撮りたくてミラーレス一眼カメラを購入 | 現在は ライヴ写真を主軸に撮影 | 過去の私小説とそのイメージにあった女性を今後撮影予定