医大生の雑談 そもそも医師になりたかった理由ってなんだ?

こんばんは。一昨医です。
今日も投稿読んでいただいてありがとうございます。

今日は題名の通り、なぜ医師を目指したか、そして現時点でどの診療科に進もうと思うか?という話です。
これは完全に自分の備忘録ですが、こういう思考の過程を残しておくのも面白いかなと思って、書いてみようと思います。

医師を目指した理由

1:憧れ

僕が医学部受験を決めた原点は、幼い時のかかりつけ医の先生に憧れたということです。
しょっちゅう風邪をひいて熱を出す子供だったので、多分病院にかかっていた回数は相当多かったんじゃないかな。
その時にやさしく、丁寧に接してくれる先生や周りの看護師さんのことを子供ながらにとても信頼していました。
自分が将来、こんな風にやさしくて、丁寧で、頼りになる大人でいられたら。
そういう思いがあったのは間違いないです。

2:文理選択当時の職業観

高校生の文理選択の時、大いに悩みました。
これまでの勉強法シリーズでも言っているかもですが、僕は完全に文系寄りの人間です。多分そっちで戦った方が楽だったと思うし、そういう人生もアリだったろうと思います。
ただ、職業ってどういう人生を送るかに大いに関わると思ってます。一生のうちに労働にかける時間の多さを考えたら、なんとなくとか、教科の得意さだけで選びたくなかった。
これまでどの選択をしてきた時もそうですが、個人的に大切にしていることは「自分の可能性を狭めないこと」です。
文系で官僚になりたいという思いもありましたが、文系の科目で医師になるのは日本では難しい。逆に医師になってから厚生労働省で働くことはできるので、科目としては苦手だけれど、理系を選択して勝負しようという結論になりました。
(しんどいけど、東大進振りや、私大センター利用で文系に行くのが一応保険ルートとして存在してたのもあります)
今から考えるとそれは正解だったというか、自分の性格にはあった選択だったなと思います。

ただ、僕が早々と諦めたプロ野球選手という夢にチャレンジしている医大生を今年知りました。ニュースでも話題になっていた群馬大学の方の話ですけど。
確かに東大・京大卒業のプロだっているんだから、そこを諦めなくても二刀流目指せるよって、昔の自分に教えてあげたいです。

3:当時の死生観

中学生の時に祖父が亡くなったこととか、災害とか平和学習とか、そう言う死に触れる機会がとても苦手で、怖くって。
いつか自分も死ぬのに。
進路や職業選択で死と向き合うことの少ないものを選んでしまったら、なんか「自分の気持ちから逃げた」みたいになって、いつか自分の納得がいかない場面に出くわしてしまうんじゃないかと思ってました。
だから医師という職業を選択肢から切ることができなかった。
今その恐怖を克服したかと言われると、むしろ悪化しているかもしれないけど、高校生当時よりは成熟した向き合い方ができているのかなと思っています。




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