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ムビ記(2024.01.24)

・今日は大雪だ!


・いつものように「今日は」と書き出して気がついた。今日のできごとだということはタイトルでわかるのだから、それはnoteでは不必要な副詞なんだよな。「僕は」という主語を最近は意図的に減らしている。同じ理由でいらないのに僕は僕は僕はと連発するのは、我の強さをアピールしているみたいで恥ずかしくなってきたのだった。今日は1周回って、そんなことを隠す方が恥ずかしいと思い始めていたところだ。今日は僕は僕は僕は今日2本の映画を観た。



・『ベネデッタ』は実際に17世紀に起こった、修道女の同性愛についての裁判を元にした映画だ。かなりショッキングなシーンばかり流れるので観ることをおすすめできない。ずーっと痛そう。僕は耐えきれず目を伏せ、イヤホンの上から耳を手で覆った。


・聖人が本物か佯狂か、という問いを現代の日本で真面目に語ったら狂人扱いを受けそうだけれど、誰もが惹きつけられるテーマではある。信仰をまっとうするために、人は狂わないといけないといけない。どんな宗教も我をなくすことが救済への道だというのが**でおもしろいし、美しくて醜く、好きだし嫌いなんだよな。


・2本目の『コンパートメントNo.6』では恋人と別れた女性が、モスクワからムルマンスクという世界最北の駅まで寝台列車に乗って旅をする。乗り合わせた男性と最悪の出会いをして心を交流させる話だ。めっちゃよかったんだけど、筋書きがおもしろいわけではないのでおすすめはできない。でも"ある視点"部門でグランプリ獲ってます。権威を後ろ盾にして興味を惹こうという魂胆だけれど、むしろカンヌに対してはダルさを感じる風潮ができあがっている気がする。


・テーマもわかりやすく、あらすじだけを聞くとハートフルな印象を受けるけれど、上映時間の大半を占める列車内のシーンはずっと居心地が悪い。画面が揺れていることもそうだし、何よりずっと聞こえる列車内の音が不快で本当にイライラする。列車に乗っている限り止まないゴーッという音、車両がきしむ音、皮のソファが擦れる音、旅の不快な環境音を意図的に大きく聞こえるようにしているのだ思う。


・それがめっちゃよかった。境遇から開放されるための一人旅は、圧倒的な不快感につきまとわれることでもあるんだよな。知らんきったねえ男と同室になったときの嫌悪感はすごいだろうな。僕も主人公と同じ熱量で不快になれたのがよかった。僕の知っている中で最も不快な乗り物、あの夜行バスの比じゃないストレスを感じるはずだ。


・きったねえ言葉を話すきったねえ男、こいつがいい奴で、話す言葉と心はやっぱり違うのだと感じられて、それにいちばん感動した。人の心を読むことができないので確信は持てないけれど、たぶん現実でもそう。出自や生きている文脈の中で培った話し言葉と、人間性はイコールで結ばれない。それを忘れずに僕も生きていきたい。


・僕は映画から多くを学び、その一切を現実に還元できない男。



・そして深夜のコンビニで店員さんに嫌な顔をされてがっつりへこむ男。


・また明日〜。

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