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この時代の光を見たい

私は令和が嫌いだし、
時代として未来を考えたときに
絶望以外になんの感情も浮かばない。
闇に飲まれていく感覚がする。

「あの時代は楽しかったよね」
そういう母親や先生に心から羨ましく感じる。

待っていることが当たり前だった時代。

出会えないことが当たり前だった時代。

人とぶつかり合うことを恐れなかった時代。

ゆっくり生きることが出来ていた。
自分を見失わずに生きることが出来ていた。
あの時代はきっと。

そう思ってしまっている私が嫌いだ。


母たちが良かったと思っている時代に今の私がタイムスリップしたとすれば、
不便なことが多くて愚痴をこぼすに決まっている。

あたりまえだと思ってありがたみを感じられていないからこそ、
ただ羨望だけをいだくことができるのだと思う。

絶望について考えるようになったきっかけは、chatGPTをはじめとするAIの急速な普及だろうか。
仕事をとると言われてもイマイチピンと来なかった。
芸術を専攻しているのが大きいと思う。
だがAIイラストの進歩を見て、だんだん暗い気持ちになってくる。
人間しかできなかったことがいとも簡単に。
絵師さんたちの声を見るのが辛くなった。
そうやって文章も取られていくのだろうか。

去年の9月、カツセマサヒコさんとサカイエヒタさんのトークイベントに参加したのだが、そのテーマもまた「AI」だった。
そのときにカツセさんが言った言葉が忘れられなくて、ずっと考えていた。

「カツセマサヒコっぽい文章が世の中に沢山溢れる中で、本物に価値がつくんですよ。それがたとえ見分けがつかないものでもいい。本物に価値がつく」

ホンモノ。
ほんものってなんだろうな。
言っていることは理解できるが、あまり腑に落ちなかった。
脚本家をめざしながらライターを職にしたいと思っている私には、AIの普及は絶望的な話題だったからだと思う。
この言葉はずっと頭の片隅に引っかかったままだった。

それから7ヶ月。
嘘だろ、と叫びたくなるのだが。
この間にたくさんの人に出会った。
主に谷口智則さんの周りにいる方々なのだが、
類は友を呼ぶという言葉通り、
素晴らしい考え方を持った人ばかりだ。

ただ好きなことをして生きている。
その人たちの周りには温かな人達が集まる。

もちろんその人たちがしてきた努力は並大抵のものではない。
続けるという強さと取捨選択をする強さを持っている人たちだ。
そうやってできた人の輪がたくさんの縁を運んでくる。
もちろん仕事の縁も。
ほんとうにそうやって芸術を職にできるようになったのだと言うのだ。
私からすると夢のような自伝を持っている人達だった。
けれどいい意味で私にも無縁な話ではないのかとしれないと思えた。

たくさんの縁の中で出会った人に、
ダイアログデザイナーの嶋津さんという方がいるのだが、彼のインタビューは格別なのだ。
この人にインタビューされた人は幸せだろうなあと私も思うし、実際に取材を受けたインタビュイーの方がそういう意見を待っている。
書く文章もすごく素敵だ。
あまり世間を知らない私でも知っている名前の人たち、例えば窪塚洋介さんや石田純一さん、片岡鶴太郎さん、のお話も聞いている。
何者なんだこの人は一体。
とよく思うのだが、きっと他に出会ってきた人と同じで、縁を大切にしながら生きてきたのだろうなと思う。
それを強く感じたのが、私の出演した「命、ギガ長スzzz」に来てくれたことだった。
わたしのことを覚えててくれて、さらに足まで運んでくれる人がいること。本当に幸せなことだと思った。
それから嶋津さんのインタビューを受けられるような素敵なクリエイターになることがひとつの目標になった。 

この世界にはたくさんの希望が溢れている。
AIに仕事を取られることばかり考えていたけれど、人間がしなくてもいいことを全てになってくれるようになるとすれば、社会のことを気にせずにやりたいことをできる世界になっていくのではないか。
好きなことを好きと言って、それを追いかけることが許される世界になるのではないか。

この時代に絶望が見たかったのは私かもしれない。
自分のこれからと今ある縁たちを信じることが出来ない弱さ。
それを強さに変えられなかった私は時代のせいにしたかった。
きっとそうなんだと思う。
もしかしたら地球はディストピアに向かっているかもしれないけど、
私という人間はユートピアを描けている。

見てくださった人たちがいる。
お世話になった人たちがいる。
憧れている人たちがいる。

その人たちにはどうお返しできるだろうか。
出世払いか。
プレッシャーが重くのしかかる日もあるけれど、
必然的に結ばれたたくさんの縁を大切にしていきたい。
自分のやり方で恩返しをしたい。
私が夢を叶える理由はここにある。

この時代の光を見たい。
どうしようもなく闇に覆われる日もある。
けれど光を見つけるのはいつでも自分だ。

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