.103 嫌悪感





今朝は肌寒い



走るときのあいみょん



走るときにあいみょんを聴くとすごくいいことを発見した。

しかし、今朝は寒いな。走ってきたのに汗をかいておらず、まだ着替えたくないのは本当に久しぶり。

寒い!「これが例年通りなのか?」とか思いながらぶるぶる震えている。


「ねえな」の威力

来るもの拒まずのスタンスでいるときの「ねえな」の直感は侮れない。

一旦「こいつはねえな」と思って、そいつが名誉を回復したことが人生で一度もなかったことに気づく。名誉回復の事例を思い出そうと、がんばってもがんばってもさっぱり思い出せない。

自分の「ねえな」の感覚はけっこう信じていいのかもしれないと思う一方で、「"ねえな"と思うのはわたしの感覚や判断が悪いから」と自分を責めることがある。

でも、それは言葉や態度の隠れ蓑に潜んだ明確な悪意に対する「ねえな」なのだった。日ごろから判断力をキープする努力はしながらも、やっぱり人でも仕事でも、どんなに些細なことでも「ねえな」という対象に同情の余地も甘えもいらないんだ。

それはたぶん、言葉や態度に包含された悪意をちゃんとキャッチくらいは常にできるからである。


紙でペンを走らせること

未読の『書く瞑想』という本があるが、確かに紙に夢中になって書いていると瞑想状態になる気がする。

もっと書け。紙に書きまくれ。


お気に入りリスト

お気に入りリストを定期的に大幅に増減させる。インプット期は無制限に増やしまくるものだが、アウトプット期には容赦なく削る。たぶん後者の作業のほうが美しい。

断捨離とか掃除というのも、これに似ている気がする。自問自答ファッションの「断服式」もこれに当てはまりそう。


YOHJI YAMAMOTO

秋冬コレクションが画面越しでもこんなに美しいのか。この世のものとは思えないほど、美しい。実際に袖を通したら、感動のあまり気絶すると思う。

学生のときに、こっそり試着させてもらったカーディガンをずーっと「死んでも、死ぬ気で買えばよかった」といまだに後悔している。


でも、笑顔で試着させてくださった店員さんに感謝している。服を着て、あんなに感動したことはない。


好きなものを肯定することと、嫌いなものを否定すること

これらが両輪で駆動していないと、宙ぶらりんで中途半端である。相対するものがひっぱり合っているのが「バランス」であり、「中途半端」あくまで中途半端。

一見!似ているようでぜんぜん違う。バランスを取ろうともがく人はさておき、優柔不断で何事も中途半端な人を相手にするのはやめよう。


同級生に筆箱を漁られるモヤモヤ

学生のころの最も嫌な思い出のひとつに、自分の筆箱を無断で開ける同級生がいたことがある。

学校や塾の休み時間にどうでもいい話をしているときに、筆箱を無断で開けられてガサゴソ漁られる。それが本当に嫌でたまらなかった。


ロッカーを漁られるより、ある意味すごく嫌だった。道具を勝手に触られるのはマジで嫌い。

まあ、筆箱なんて開けない人が普通だと思うが、こういう同級生が一人ではなかった。あの最悪な感じをなんて言語化すればいいんだろう。パーソナルスペースを侵されているのが、本当に気分が悪い。

筆箱に触る人を見るたびに「触んな」って拒否反応が出る。もちろん、これは筆箱に限らない。無神経に道具に触れるような奴の顔なんてもう見たくないし、正直なところ噂を聞くのも嫌である。


まとめ

道具を触られるのが、生理的に本当に嫌いなんだな。スマホとかパソコンに触られるのとか、いまだにペンケースに触られるのとかは絶対に考えたくない。

そのためには、かばんをいつも傍に置きこまめにしまって隠しておくのが大事だと思う。面倒くさがらずにしまっておくか。

わたしは仕事道具に関しては、けっこう潔癖なんだな。と思うとともに、こういう感覚って他の人はないのかなと疑問である。


ここから先は

0字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?