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光を追う

2ヶ月過ぎたくらいのことだろうか。
子供が、扉の先の光などを眼で光を追うようになった。
その方を見る。

人間の眼は闇を追うことなく、光を追うように本能づけられている。
始めからそう方向づけられている。

音の中から闇が生まれ、闇の中に光が生じる。
本能の順序。
そして、始めの音の裡には声と言葉が含まれる。
音が先か、声か、言葉が先か?

梟などは、闇を見る。
光には眼を閉ざしている。
梟にはハンターの性質として、始めから音も声も言葉も無い。
彼らは、影から産まれ、影の裡で死ぬ。

人間と梟は対立していると思う。
象徴の裡で。
本当の知性を授けるのは、梟か蛇か?
その知性は象徴的な知性なのだろうか、現実的な知性なのだろうか?

いずれにしても、人間の運命として、闇の中で光を眼で追っている。この時、身体は思うように動かない。
いまだ親の腕の中に居て、そこが常に居るべき処となる。親の責任は重大ということだ。

そして数ヵ月後、光へと歩きだし、象徴の世界に足を踏み入れる。
(2019年7月6日執筆)

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