私らしい働き方について考えてみた②
1/27(日)に、山梨ぴゅあ総合チャレンジシンポジウムにて、「私らしい働き方」をテーマに講演する。それに先立ち、「私らしい働き方」について書きだしたが、まず私らしいってなんだよ?というところから、考えてみた。
昨日は、パネルディスカッションに参加される他2名の方とも打ち合わせ。
それぞれ、個人で菓子店、パン屋を営業されていて、個人飲食店あるある、で盛り上がった。お二方とも私なんぞよりとっても人気店なんだけれど、そこにあるのは、「今のお客様をがっかりさせたくない」「来てくれることへの感謝」当たり前だけど、とても地味で大事なことなんだよな、と思った。
「私らしい」かどうかということよりも大切なことかもしれない。
外から作られる「私」
少し話はそれるが、前回の文章↓
https://note.mu/otoyoko_otopain/n/n36b234f3a5a3
を書いた後に知った、ちょうど年明けの、西武そごうの広告の話題。出てくる出てくる「私 」。
あれ?なんだこの違和感。
前回は、
私らしい働き方、生き方について書いたが、なぜかそこに交わらない、広告で唱われる「私」の違和感。
そこで気づいた。
前回書いた、自分の中から涌き出る「私らしさ」とは別に、「どう見られたいか」という外から作る「私らしさ」の存在があるのではないか。
男にバカにされたくない。女だからってなめられたくない。私らしくいたい私。
そんな「私」は自分の中から作られる私ではなく外部から作られる私。外から見られる私がどうでありたいか、という私も存在する。
外からどう見られていようがあまり関係ない
若い頃の私は、「こうなりたい」が強かったように思う。DJをやっていた頃は、男の多い世界で動いていたし、クラブシーンなんて、当たり前のように「女は表現者ではなくチャラチャラ付いてくる遊び相手」っていう価値観がすぐそばにあったし、「ナメられたらあかん!」みたいな意識はずっとあった。(むしろ怖い女だと思われていたに違いない)成功したい、という欲もあった。
でも今は、自分がどうこうなりたい、っていう意識があんまりない。世間がみるものなんて、世間が勝手に決めてくれればいい、と思っていて、外からの自分をコントロールしよう、という気持ちがなくなった。
なるようになるし、今の自分がどうであるか、ということは内の自分と向き合うことが一番の近道であると知ったから。外の自分のことを考えることは時に自分らしさの道を邪魔することになる。
子育てして、人間なんてコントロールできるもんじゃない、という一種の悟り的な感覚を持ったこともあるかもしれない。
私らしさを目指さないようになってからの方がより自分らしく生きているような気がするのは、なぜだろう。なんにせよ、図太くなった、ということは間違いない。
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