鈴木ソナタ(おとじ)

アコーディオンと猫が好き。

鈴木ソナタ(おとじ)

アコーディオンと猫が好き。

マガジン

  • 窓には西日が差している

    気がつけば「老後」です。悠々自適とは程遠く、あいかわらず働かなくちゃ食べていけないし、頭痛、肩こり、関節と、いつも体のどこかが痛い感じですが、人生というものに慣れたのか、若い頃にくらべてずいぶん自由に生きやすくなりました。老後、楽しいですよ。そんな日々を、なにか書きながら、ゆっくり歩いてみようと思います。

最近の記事

やまない雨、鳴かないセミ

指はらに伝わる震えジジジジジ 一度も鳴かず死にゆく蝉と 死にかけの蝉を拾った。 今年、二度目。管理員として仕事をするマンションの共用階段で、だ。 私は知っている。コンクリートの上で腹を見せ、横たわっている蝉は、動かなくても「ゴミ」ではない。 死骸のようで、まだ生きている。 このまま箒で掃いて、チリトリに収めてしまってはいけないのだ。 そおっと指の腹でつかむと、ジジジジジジという声。使い捨ての薄いゴム手袋ごしにやわらかい震えが伝わってくる。 ほらね、生きている。 私は蝉を持

    • 猫の待つ家

      しどけない寝姿思い描くたび ペダル軽くて猫の待つ家 30年以上、猫の待つ家に帰る暮らしをしている。 最初のうちは、帰宅すると待ちわびていたかのように玄関まで迎え出てくれた猫たちも、歳月がたち大人になると、よほどの空腹でもないかぎり、飼い主の帰宅など素知らぬ顔。それぞれのお気に入りの場所から動こうとはしない。猫だから、丸くなったり伸びたりと、姿はその時々でさまざまだが、たいていはいつも寝ている。 鍵をあけ、「ただいま」と部屋に入り、猫を探す。 うがい手洗いなど後回しで、彼ら

      • 祈りの波と、声の海

        30人のお坊さんによる聲明(しょうみょう)を聴いたことがある。 お寺ではなく、パイプオルガンのあるホールで。 同じように「ここではないどこか」とつながるためのツールだからだろうか、グレゴリオ聖歌にも似た響き。 友人が「地面から湧き出るような男声」と評していたが、まさにその通り。 深く、やわらかな声のかたまりが、日常とはかけ離れた別の場所から届けられたかのようだった。 2時間のあいだ、魂が半分、ここではないどこかにもっていかれて、死んでしまった人たちの顔が、次々と浮かび、心の奥

        • 美しい爪

          去年の11月に亡くなった義父がまだ特養(特別養護老人ホーム)のショートステイを利用していた頃、施設利用の説明に来てくれたスタッフの一人にとても爪の美しい女性がいた。 年齢は20代半ばくらいだろうか。長い黒髪を後ろで一つに束ね、ユニフォームの水色のポロシャツをさらりと着た、福祉関係に従事する女性の定番の装い。可愛らしい顔立ちだが、爪以外の外見から受ける印象は、これといった主張のない地味なもの。しかし、清潔に切り揃えられているにも関わらず、ため息が出るほど長く、かたちの良い爪は

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        • 窓には西日が差している
          21本

        記事

          You've got a friend

          NHKスペシャル「遺児たちのいま 阪神・淡路大震災 23年」というテレビ番組をみた。 23年前の1月17日におきた地震で、父や母を亡くした子どもたちのその後を追い続けたドキュメンタリーだ。 大人になり初めての子を出産した直後の産院で、それまでじっと押し殺していた本当の魂を解き放つように、「ママとパパに会いたい、ママとパパのところに行きたい」と幼女のように泣き叫ぶ女性。 家族の中でたった一人生き残ってしまったことの重荷に耐えきれず、5年前から家の外に出ることができなくなって

          「空は青い。僕らはみんな生きている」

          私は路上で知らない人から声をかけられやすいタイプの人間だ。 旅先で、知らない場所の道順を聞かれることも少なくない。 どしゃぶりの雨の中、住宅街を歩いていて、いきなり宗教の勧誘を受けたこともある。 今朝も、アルバイトで管理員をしているマンションに出勤するため、自転車を走らせている途中、突然、40代半ばくらいの女の人に「あのぉ……」と声をかけられた。 相手は徒歩、こちらは自転車。 声をかける側にとってかなりハードルが高いと思うのだが、曲がり角で自転車のスピードをゆるめたとたん、

          「空は青い。僕らはみんな生きている」

          「ずっとまもともじゃないって、わかってる」

          スピッツの30周年ライブに行ってきた。 初めてのスピッツライブが、記念すべき30周年のメモリアルライブの初日。 何となく申し訳ない気持ちがするが、これもご縁。チケットを譲って下さったR様、ありがとうございます。 30年間、トップランナーとして走り続けるバンドだけに、演奏される曲の一つ一つに、個人的な思い出がもれなく付いてくる。 ああ、この曲が流れていた頃は、あんなことがあったなぁ、あの曲のときはこうだったなぁ、とか。 きっと会場の一人一人が、同じ思いを抱いていたことだろう

          「ずっとまもともじゃないって、わかってる」

          白いノートを文字で埋める、という幸せもあるよね

          少し前にみたNHKのswitchという対談番組で、映画監督の西川美和さんが「ノートは武装」と言っていた。 対談中でずっと、黒革のカバーをかけたB5サイズのノートを膝に置いていた西川さんが、番組の終わりに対談相手のいきものがかりの水野良樹さんから「メモ(ノート)を持たれているのがすごい怖くて……(笑)」と指摘された時の返答だった。確か西川さんは、「そうでしょう?これは武装だから、わたしの。カメラを構えているのと同じように、ノートを持っているとこっちが優位に立てるんです」と答え

          白いノートを文字で埋める、という幸せもあるよね

          夏の終わり、階段の途中

          清掃、点検作業のため、いつものようにホウキとチリトリを手にマンションの5階の共用廊下を歩いていたら、207号室のカイトくんが、iPhoneからつながったイヤフォンを耳にさして階段の手すりにもたれかかっていた。通っている中学の夏の制服姿。そうか、今日から新学期なんだ。 カイトくんの家は一階なので、どうしてこんな所にいるんだろうと、「ポケモンでもやってるの?」と声をかけてみた。するとカイトくんは、「今日、早退してきた」と言う。「(早退しない)他の子たちの帰る時間は11時50分だ

          夏の終わり、階段の途中

          洗濯ものとザッハトルテと

          朝起きたら、まず洗濯ものがよく乾くかどうかを確認する人生を、もう何十年も続けている。 空を見上げ、天気予報を確認し、よく乾きそうな日はそれだけで幸せになれるのだから、そんな風にちまちました幸せを重ねていく人生も悪くないと思う。 さて今日は愛するザッハトルテのライブ。終演後は、いつも一緒に音楽を楽しむ友人たちとご飯でも食べに行こう。お酒も飲もう。 音楽と友とご飯とお酒。ちまちまどころか大きな幸せだ。 (2016年11月)

          洗濯ものとザッハトルテと

          ソノダさんのお願い

          午前中だけ管理員の仕事をしているマンションの、4階に住むソノダさん(仮名)から階段ですれ違った時に、「お願いがあるの。郵便ポストに新聞がたまっていたら様子を見に来てね。一人でこんな風に(と、両手をまっすぐに前に突き出して)、お台所の前で倒れて、死んでいるかもしれないから」と頼まれた。 ソノダさんは一人暮らしの女性。年齢は70代後半くらい。息子さんがいらっしゃるが、遠く離れた街で暮らしているので会えるのは年に二度程だという。とはいえソノダさん、まだまだお元気で「運動不足になっ

          ソノダさんのお願い

          猫の手土産

          もう去年のことになってしまったけれど、書いておく。 91歳で一人暮らしの義父(以後おじいちゃん)の話だ。 おじいちゃんは少し認知症が入っているので、息子である夫が食事の世話を兼ね毎日、朝晩、様子を見に行っている。その日もいつものように夫が仕事帰りに訪ねると、玄関先にマドレーヌの詰め合わせが置かれていた。 「これ、どうしたの?」と夫がたずねると、おじいちゃんは「猫がなぁ、飼ってくれって言って、置いていっただよ」と言う。 えっ、何だそれ。猫が自分で持ってきた?おじいちゃんのボ

          孤独という、どんぶり鉢の底から

          昨日は吉原kickersで下八のライブ。 笑った…。そして、泣きそうになった。 泣きそうになったのは、「道」って曲。 ハッチさんのかく曲はなんてやさしいんだろう。 不器用で、協調性がなくて、 毎度毎度、孤独というどんぶり鉢の底をなめている人間の魂に きちんと手を差し伸べてくれる。 負けてばかりで、というか勝負自体からいつも逃げている弱い人間の存在も、 ちゃんと認めてくれる。 ありがたい。 何があっても、「泣きながら、笑う」よ。 ハッチさん、いつもありがとう。 (2014年4月

          孤独という、どんぶり鉢の底から

          ミルフィーユ

          義母が亡くなってから、 長谷通りを過ぎてアイセルの前の道を車で通るたびに、いつもすこし涙ぐんでしまう。 その場所で、相棒のシルバーカートを隣に置き、 舗道の縁石にちょこんと腰掛け私を待っていてくれた姿をつい思い出してしまうからだ。 月に1度、アイセルで開かれていた句会に通うのが、 病院以外、晩年の彼女の唯一といっていい外出だった。 正直、毎月、車で送り迎えをするのが面倒だと思った時もあったけれど、 桜の季節、新緑の季節、後部座席に義母を乗せて お堀端の四季のうつろいを感じな

          砂糖菓子のひとかけら

          月に一度か二度、近所の特別養護老人ホームにボランティアに行っている。 ボランティアといっても、なんの取り柄も資格もないわたしは、そこの住民である爺さま、婆さまたちに会いにいき、一時間ほど、ただおしゃべりするだけだ。 そこで出会う人生の先輩たちの中には、何度、通っても「はじめまして」からスタートする人がいるかと思えば、最近めっきり記憶メモリが劣化してしまったわたしなんかよりずっと頭脳明晰な人もいる。 白い髪をボブカットにし、いつもうっすら薄化粧の美しい麻子さんもそんなクール&

          砂糖菓子のひとかけら

          銀の翼と赤い空

          いつもの老人ホーム。 91歳のAさんは、カレンダーをちらりと見てつぶやいた。 「今日(6月19日)は静岡大空襲の日だね」 Aさんは、静岡市の中心部、B町の生まれ。 68年前の真夜中、ご両親と弟と、防空頭巾の上から布団をかぶり、浅間通り商店街の軒下を這うように、浅間神社の赤鳥居をめざして逃げた。 その日は天気がよかったはずなのに、突然、空からパラパラと小雨が降ってくる。 と思ったら、それは油。 「燃えやすいようにと、焼夷弾を落とす前に最初に油をまいたのねぇ」 B29は驚く