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砂嵐の日の幻聴ラジオ

いつも使い慣れたコーヒーカップが見当たらない。昨晩、洗って立てかけて乾かしておいたはずなのに。思い当たる場所はすべて探し尽くした。記憶がバグっているのかな? しかたなく使い慣れない古いカップに注いでみたけれど、お世辞にも美味しいとは思えなかった。半分まで飲んで、あとはそんな気分じゃなくなって、中身は捨ててしまった。

今日は仕事が砂嵐休みの日だった。

ベランダから見る外の景色は、いつものこの時間だったら、こうこうと朝日が見えているはず。ところが今朝は真っ暗だ。天気予報だと、明後日までずっと砂と風のマークが貼りついている。これじゃ一歩も外出なんてできっこない。三日間、砂の降りつける日々が続くのだ。

もちろん一週間前から砂嵐予報が出ていたから、事前に調整して仕事に差し支えはなかった。問題は空いた時間の過ごし方だった。オンラインで仕事があるならまだしも、完全なオフだと本当にすることがない。読書をしようか、音楽を聴こうか、一昨日からずっと迷っている。当日になっても悩んでいる始末だった。あのカップでコーヒーを飲みながらじっくり考えようと思っていた矢先、出鼻をくじかれた気分だった。といっても、いくら考えても結局は決まらないだろうけれど。

テレビをつけると、ニュースは連日の火星人の目撃情報ばかりでうんざりする。不確かな情報を推測で流したがる風潮は、地球と変わらなかった。これは私にとって期待外れの火星の悪い風潮だった。好んで視聴するメディアは、こちらに来ても相変わらずラジオだった。

それにしても、どこに私のカップは行ってしまったんだろう?弱ったな。

暇つぶしの読書。それは昔から夢中になれる二つの遊びのうちの一つだった。もうひとつの暇つぶしアイテムは音楽で、両者の大きな違いは、想像できる世界の限定の度合いだった。音楽は自由で、何を連想したって正解はない。一方、文章にはこれこれのこれと限定して世界を編み出していくので、イメージの幅は限られる。曖昧さと論理性のこの対比は、いつも私を虜にする。

半年前に段ボール箱詰めで届いた、地球の友達から送ってもらった大量の本は、暇を見つけては読むというくらいの集中力で、あっという間に読んでしまった。読書に対して、地球にいる頃より夢中になれる気がする。描かれている世界や歴史や価値観が、火星にはないからだと思う。すべてが透明な火星では、思い煩うことなく堪能できるみたい。

来月、また段ボール箱が届くことになっている。三ヶ月も経たないうちに読み切って、また欲望がもぬけの殻になって、次の地球からの段ボール箱を心待ちにしているのだろうけれど。

今日のラジオから流れてくる番組は、自宅にいるスタッフたちによるオンライン配信だった。どうやら打合せどおりに進んでいる。みんな自宅の機材はそこそこだけど、マイクとパソコンがあればなんとかなる。それより、よくこんな砂嵐の中でも電波が飛ぶんだなあと、いたく感心していたら、いきなり放送がぷつんと切れた。

停電だった。電池式のトランジスタラジオを探しだしても音は鳴らなかった。配信者の環境でも停電しているのだろう。問題の原因はかなり根深かった。

窓から入ってくる仄かな明りは、夕暮れの終わりかけくらいの光度しかない。三十分以上経過しても復旧する気配はなかった。遠くで防災サイレンが鳴り続けているのは、この停電の長期化を予感させた。懐中電灯も非常食も準備していなかったことを悔いた。ああ、これでは読書も音楽も、日常生活すらもできないんだな。蓄電池は必要だな。

室内温度がどんどん下がってくる。空調のありがたみを感じる瞬間が、こんな具合に定期的にやって来て、また忘れる。ここでは停電なんて日常茶飯事だから、当たり前の光景になっている。いけない。

布団に何重にもくるまって寒さをしのぎ、目を閉じる。退屈な一日の始まりを思い浮かべて、自虐的な愉しみに耽ってみる。ふと、暗闇のどこかからコーヒーのいい香りがした。私がいつも飲んでいるコーヒーの淹れたての香りに違いなかった。訳が分からなかった。

それに加えて、柚子風味のジャムとトーストの香りもやってきた。火星に来て以来、柚子の香りなんて嗅いだこともなかった。なんて長閑なんだろう。ここは実は地球で、夢を見ているだけなのではないか。ガタガタと砂嵐が窓を揺するまでずっとそんな夢みたいなことを考えていた。

あのコーヒーカップは地球から持参したものだった。ずっと古くから家の棚にあったもので、祖父や祖母が生きていた頃からの食器のひとつだった。もっと昔からあった可能性もある。だって、祖父も祖母も知らないと言っていた。だから、もともと誰が使っていたのか、さっぱりわからない。その後も同じだった。誰かがいつの間にか使って、洗われて干されている、そんな具合だった。

だから、気づいた時には私が使っていた。私専用になっても、誰もなにも言わなかった。空気みたいな存在のカップだった。よく今まで割れずに残ったものだなと思う。何度もぶつけたり落としたりしたのに。

もうこれ以上室温が下がらないなというくらい、部屋中が冷たい空気で満たされてしまうと、急に温かいものが恋しくなってくる。だから、熱いコーヒーを愉しめなかったことは、とても恨めしかった。それ以上に、コーヒーと柚子とトーストの匂いの幻が私の食欲を悩ませた。

「ないものがあると思い込まされるのは、あるものがないのと同じくらい幸せだけど、ないものがないとわかっているのであればただの苦痛でしかありませんよね。お金だって、恋愛だってそれは同じ。本日のテーマは、地球では当たり前だったけど火星にはないものについて、そんなあなたのぽっかり空いた穴について教えてください」

そう心の中のラジオパーソナリティが語っている。言っていることは、とりとめもない気がするけれど、職業柄、紙を取りだして窓際の仄かな明かりでメモしておく。明日の放送担当の時に使えるかもしれないな、と思った。私だって喋ることがプロなんだから。

幻聴のような声はまだ続いた。パーソナリティの声は、いつの間にか私自身の声に変わっていた。

「次はペンネーム希望《柚子マーマレードが好きな火星人@5億15歳》さんからいただきました。ありがとうございます。

「―― わたしのポッカリ開いた穴は、希望という名を持つものです。5億年も生きていると、いろんなことに『こうだったらいいな』と夢を見るものですよね。わたしだってご多分に漏れずそうでした。幼い頃の夢、成長してからの夢、それは現実を知っていくことで夢の内容にも多少の変化はありましたが、これだけは変わらないというものもありました。

「ほとんどの夢は実現不可能だったということです。どんなに努力して資格をとって履歴書を送りつけたとしても、最初から無理ゲーなものは実現しませんでした。そんなこと当たり前じゃん、と言い切ってしまえるようになったら、一人前の大人なんだって言えるんだろうな、と最近は自分に言い聞かせるようにしています。どれだけハードルを下げることが許せるものなのか、それが生きていくうちで大事なんだと思うのです。わたしはいつもドジばかり踏んでるし、仲間からシカトばかりされているし、ダメな奴。いつも夢への希望にこだわり続けているから、旅が終わらないんだと思う。流され着いた島で、古ぼけたカップを見つけてコーヒーを飲んで、へらへら笑っていたい。そう心底から思うのです。

「P.S. コーヒーカップ、明日になったらお返しします。

「―― お手紙ありがとう。人生はいくつもの勘違いが集まってできているものです。だから、誰かが希望を失ったからといって、笑う人もいます。だからあいつは不幸な人生を送るんだ、とすべてを見抜いたつもりで驕る人もいます。でもね、そうだったらいいなと切望していたことも、それは思い込んでいただけの幻ってことも当然あります。そうでなければいいなと思っていても、逆に素晴らしい世界が開けていることもあります。

「誰に対しても、なにに対しても、望んでいたものと違うからと言って疎んじないこと。だって、望んでいた楽園が、あなたの思い込みだけの虚像だとしたら、そしてそんな人たちでこの世界が溢れているのなら、最後は憎しみ合う人たちだけになってしまいます。きっと。

「外側こそが真実だと声高に叫ぶ人たちが、とても多くてビックリする。でも、表面積が広く見えるだけで、みんな体積のことをすっかり忘れているんだよ。気をつけなくちゃ、《柚子マーマレードが好きな火星人@5億15歳》さん。その絶望は世界共通の価値観じゃないって、ひたすら信じることです。古ぼけたコーヒーカップの中の、その熱々としたコーヒーは、どんなお味ですか?」


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