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「理」


「照と書いて、てるです。」友人のお孫さんの名前を教えていただいた時のことです。天照大御神の5文字が私の頭のなかで一列に並びました。照の一文字が列から飛び出して小さな誕生したばかりの肉体に宿ったようなイメージが膨らみました。神と人の境界線、人種、宗教あらゆる境界線を越えた新しい世界が始まる。自由で明るい響きが照という文字から私に入ってきました。もちろん、これは私の勝手な妄想であって、ご両親の気持ちや願いはまた違ったところにあったことでしょう。

しばらくして、私は照ちゃんのお姉さんの名前を偶然に知ることになりました。友人のラインに咲と書かれた一文字がそのお姉さんの名前でした。文章のなかに咲の文字を見つけた時に此花咲耶姫の5文字が一列に並びました。そう、天照大御神の文字が並んだあの日と同じように咲の文字だけが飛び出してきました。命が開き動き出す自然の風景のあちらこちらに咲を見つけることがあります。こうなったら照ちゃんのお兄さんの名前も知りたくなりました。きっとこの神様たちとなにか繋がりがあるはずだと私の好奇心は大いに騒ぎ出したのです。もう、大騒ぎです。

「お兄さんの名前は柊と書いてしゅうです。」と前出の友人の落ち着いた声。「あっ」私はイエス・キリストの冠を乗せた姿が目に浮かびました。調べてみるとイエスの冠は実際には茨であったようです。けれど、クリスマスの飾りに使われる柊の棘はイエスの冠の茨を表現していて赤い実はイエスの流した血を意味するとあります。

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私の胸はドキドキと音を鳴らしています。照、咲、柊この文字から天照大御神、此花咲耶姫そしてイエス・キリストへとイメージは壮大なスケールで膨らみました。地球に誕生する子供たちは、しっかりと自分の名前を握って産まれてくるのかもしれない。大人たちがつけたように見える名前は小さな命が大人たちに託した祈りだとしたら。私たちの名前には誕生の理由が隠れている可能性があるかもしれないです。

お会いしたことのない3人兄妹の名前からこんなことを考えていました。いつか3人の名前を呼ぶ時があるかもしれないです。
「照ちゃん」
「咲ちゃん」
「柊君」
その日を楽しみにしています。

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