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「鳴」

一番最初に覚えたゲームに神経衰弱をあげる人って多いのかな。ルールが
無いような単純なゲームだからいつの間にやらデビューしています。和歌に作者不明の読み人知らずってありますが。この神経衰弱も名付け親知らずではないかと勝手な推測をしています。子どもが人生で最初に覚えるゲームの名前にしてはどこか無邪気感から遠い名前ですね。

なぜかこのゲーム。小さな子どもの方が強いんですよね。私なんて兄弟が無かったので。ひとり神経衰弱に燃えている時期がありました。取りつかれたようにトランプをめくっていました。数字と数字が合う快感は記憶の力より閃きを試しながら感覚を研いでいたのかもしれないですね。

似たようなゲームは平安時代からありました。貝合わせ。蛤の貝殻の内側に絵が描いてあって。その絵を合わせるゲームです。二枚貝の蛤の上の殻を陽として下の殻を陰としたそうです。陰陽を合わせる貝合わせは夫婦和合の意味を象徴して嫁入支度にも使われていたようですね。

数字と数字が合う。絵と絵が合う。裏返しにしたものをめくりながら合わせる単純な遊びが面白かったのは。記憶力だけでなく閃きを使えたからじゃないのかな。子ども時代に神経衰弱が得意なのは閃きを楽しむことを知っていたからかもしれない。閃きの対義語を検索してみると。ベストアンサーに分析・解析と出てきました。なるほどなるほど。

つい先日。また違った合うを経験しました。ほんの気まぐれに出した友人の声にふざけて私の声を重ねてみたのです。トランプをめくって数字を合わせるみたいに。声は空間に動きを創りながら天井で巻き込むようなカールを描いて降ってきます。空間に響く声が皮膚にこだまする。数字が合うように。絵が合うように。二人の声が共鳴する。二人の声と空間も共鳴する。

閃きは遮るもののない空間を通って私たちのもとに降りてくる。私たちは時々。何かの拍子にそんな空間を創ることができるのだと思う。何かと何かがピタっと合うのは遮るものの無い空間と関係しているとしたら面白いですね。

今日に限ったことではないけれどなんだか考えが上手く纏まらない。多分、午後から近くのスーパーで始まるマグロの解体販売が気になって仕方無いのだと思います。頭はパソコン。心はマグロ。そんな状況なので今日はこの辺りでおしまいにします。

「でしゃばりマグロ。」って書いてありました。

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