過去と未来の身体的知覚物量の違いとは

過去と未来の身体的知覚物量の違い

今生きている我々と、過去生きていた人々とでは

明らかに今生きている我々の方が賢い。

多くの人間が作り上げた知的財産は増えることはあっても減ることはなく
形を変えながら数を増している。

生まれ育った環境の違いから、他人と全く一致することのない身体的に身についた知的財産はどんな高学歴な人間であってもその物量には限界があるだろう。

それが個性だ。しかし、過去といえば知的財産の物量がそもそも少ない、もしくは誤った知識で構成されていたことだろう。

地球と太陽の関係がまさしくそれだ。
得体の知れない物体から、現在は宇宙の可能性にとって変わっているのだからそれだけでも我々は賢くなったと言えるだろう。

過去の知的財産に囚われていたら、未来の知的財産を吸収することはできない。知的財産のスキルボードは常に最新状態に更新していく個人個人の器量が必要だ。80年代のスキルボードのままの人はまだ多くいることだろう。

現代、知的財産が金銭により採取され思うように身体的知覚として利用できない資本主義の問題を抱えることになってはいるが、これからの未来は今よりもより多くの知的財産を世界中にばらまくことになるだろう。

過去の正確な知的財産の少なさから、同調性は容易に保たれていたわけだが
これからの未来に生きる人々の生活では正確な知的財産の多さからより個性独特な存在感が強調され、同調性が用意に保てなく成ることはわかる。

エンターテイメント、特に芸術的美的センスという範囲ではそれが顕著に現れていることだろう。

もはや、同調性を強調した社会主義的な「正解の押し付け」という世界観は存在しないのだ。なぜならば正解は多数分岐し数多く存在しているのだから。

我々はモーツアルトでいうところの1/fゆらぎ(時間的に不規則な変化をする現象)の一部として未来永劫、誰かとは交わることなく揺らぎ続けることに成るだろう。

このような身体的知覚の限界点において

過去とは違う未来の為に
我々が手に入れなければならない共通の知識とはなにか?

その答えを人類全体が同じベクトルの上で話し合えた時
世界は初めて平和になったと言えるのかもしれない。

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