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この国の不寛容の果てにー相模原事件と私たちの時代(2)熊谷晋一郎×雨宮処凛 「生産性」よりも「必要性」を堂々と語ろう


相模原障害者殺傷事件をめぐる、雨宮処凛さんと6人の論者の連続対話。第2回は、脳性麻痺当事者であり、小児科医・東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎さんとの対話です。

自立生活から「当事者研究」へ

熊谷 私は生まれつき脳性麻痺という障害を持っています。脳性麻痺の中でも痙直型と呼ばれるもので、発話には支障がないのですが、常に身体が緊張していて思い通り動かせないという障害です。
私は1977年生まれですが、当時は脳性麻痺の子が生まれると、徹底したリハビリをさせて、できるかぎり健常者に近づけようという風潮がありました。特訓して、健常者と同じように動けるようになれた子は地域で暮らせる。それができなかったら、人里離れた入所施設に入って、ずっとそこで暮らす。そういう選別というか、健常者のように暮らせるかどうかは努力しだいという雰囲気が、医療者にも家族の中にもはっきりと存在したと思います。
子ども時代はリハビリ漬けの毎日で、学校とリハビリ施設と家しか知らない、狭い世界で17歳まで生きてきました。その間はずっと「リハビリをがんばって、健常者になれたら社会に出てもいいよ」というような価値観の中にいたので、それ以外の人や世界との接触が少ない生活でした。


大学に入って上京したのを契機にアパートでひとり暮らしを始めたのですが、本当にすべてがはじめて触れる世界というか、これまで親にカバーしてもらっていた部分が全部剥き出しになったわけですから、当然うんちも漏らすし、おしっこも失敗する。それでも、通りすがりの人に助けてもらえたりする。友達の障害者と一緒に渋谷で、お漏らしのリカバリーを通りすがりの何割の人が介助してくれるかという実験をしたこともありました。
雨宮 すごいですね! 無差別にですか。
熊谷 もちろん、相手のようすを見極めながらですが。やってみると半分くらいの人が手伝ってくれて、「あんがい世の中の人は優しいじゃないか」と思ったり(笑)。それによって社会とか人に対する信頼が生まれて、人間や社会にかかわる仕事をしたいと思って、医師をめざすようになりました。24歳のときに医師の資格を得て、小児科医としてしばらく働いた後、専門家としての医療の世界と、当事者として生きてきた世界を橋渡しするようなことができないかと考えるなかで、北海道の「浦河べてるの家」で生まれた「当事者研究」という考え方に出会ったのです。
当事者研究とは、精神障害などの困難を持つ人たちが、自分たちを悩ませている幻覚や妄想、あるいは依存症や対人関係の問題といった「苦労」を、自分自身の研究対象として、仲間とともに考え探求していくというものです。
このような当事者研究のアプローチを、精神障害以外の分野でも応用していけるのではないかと考えて、東京大学の先端研(先端科学技術研究センター)の中に「当事者研究ラボ」を設けて、現在まで研究活動をしています。


知的障害者は「語れない」という誤解

雨宮 私のいとこも知的障害があって、単語を組み合わせるていどの会話しかできませんでした。障害者の地域移行に関する議論でも、もっと地域での自立生活をすすめるべきだという意見と、とくに親の側から、うちの子は重度でそんなことはとうてい無理だから、施設のままでおいてほしいという意見もありますよね。
熊谷 親や支援者が「この人はこうだ」と代弁することの危うさに注意する必要があると思います。
当事者研究に対して「語れない人たちはどうしたらいいのか」と問われることが確かにありますが、むしろ私は、当事者研究こそ、通常の意味で「語れない」人たちにも開かれていると感じるんですね。当事者研究とは、いわば医療の言葉でも運動の言葉でもない、自分自身の言葉で、当事者の中で起きていることを説明していく試みだと思います。たとえば、医療の言葉では「逸脱行動」とか「症状」などと否定的に呼ばれてしまう行動であっても、当事者研究的には「表現」であると考える。
植松被告が語ったと言われるように「コミュニケーションのとれない人には生きている価値がない」という見方に対しては、むしろ「それを読み取れないあなたの側に問題があるかもしれないではないか」と言うこともできます。
コミュニケーションとは双方向のものですから、送信者と受信者がいます。表現されたものを受信者が理解できなかったとしても、送信者側だけに落ち度があるとは言えません。社会の側に、それを正しく理解できる回路がなかったからだとも言える。当事者研究はそういう考え方を可能にします。
一見、饒舌に語っているかのような健常者でも、本質的には自分自身のことをまったく語れていないし、他者のメッセージを受信できていない場合もありますよね。逆に、知的障害とされる人のほうが、よりストレートに要求を発信したり、他者の気持ちを受信できることだってあります。だから、知的障害者に「自分を表現できない人」とレッテルを貼ることは、言ってみれば、植松被告と同じところにおちいってしまっているのです。
雨宮 ああ、そうか。そうですね。私のいとこも、読み書きはできなかったし、簡単な言葉しか話せませんでしたが、だからといって彼女は表現していなかったわけではなくて、むしろすごくストレートに自分の要求や思いは表現していた。私たちが勝手に「表現できない」と思い込んでいたんですね。


障害者と介助者の対等な関係を保つ知恵

雨宮 植松被告がやまゆり園で働いていた職員だったことについては、どう思われましたか。
熊谷 なんというか……ここもとても表現が難しいのですが。
私のように、日常生活を営むために常に介助が必要な障害者にとって、介助者との関係というのは非常に複雑なものなんですね。たとえば婚姻関係なら、あってもなくても生きていくことはできます。でも障害者にとっての介助者の存在というのは、生きていく上では欠かすことのできないものです。そういう、いわば逃れられない関係だからこそ、かならずしも常に平和ではないというか。互いに人間ですから衝突もありますし、肉体的には圧倒的に介助者のほうが強いわけですから、そのままでは対等な人間関係になりえない。それでも双方が尊厳を奪われないために、できるかぎり対等になれるような工夫というのを長年かけて積み上げてきました。
たとえば、ひとりの障害者に対して、介助者はかならず複数にするとかですね。なぜかと言えば、信頼を置ける介助者がひとりしかいないと、障害者はその人との関係に依存して、関係が悪くなったとき相手に支配されてしまったり、逃げ場をなくしてしまったりするからです。相手の善意に頼る関係にしないというのも重要です。介助やケアは心がけや善意の話にされがちですが、人権や構造的差別の問題としてみることが大事です。
そういう工夫によって、身体能力的に対等ではなくても対等の立場でいられるように、また相手の善意に頼らなくても、障害者の安全や人権が保たれるようにしてきたんですね。
雨宮 「自立とは、依存先が複数あること」だともおっしゃっていますね。健常者の善意に依拠しないということ。そこにも事件を読み解くカギがありそうですね。
熊谷 はい。大規模施設というものが、障害者にとって警戒すべき存在である理由のひとつは人数比にもあります。介助される障害者のほうが圧倒的に多いわけですから、介助者がどんなに聖人君子であっても、そこに序列が生まれ、力の勾配が生まれます。地域生活を提唱してきた理由のひとつは、障害者と介助者との人数比を逆転し、介助者の方が多い環境を実現することで、そういう支配的な力関係が生まれないようにするということでした。
ゆえに、地域ならすべていいかというとそういうわけでもなく、たとえば地方に行けば介助者になってくれる人が少ないといった問題もあります。だから「施設から地域へ」は必要条件に過ぎなくて、それに加えて、障害者と健常者の対等な関係を保てるような人数比ということが重要なポイントだと私は思っています。
今回の事件で、大規模施設での障害者介助を経験したひとりの人物が、そこでどのような体験をして、何を学んでしまったのかということは、私自身も気になるところです。もちろん、想像の域を超えませんが。

【事件から3年目の今年7月26日。やまゆり園の入口に献花台が設けられた】


財源問題と世代間対立

雨宮 植松被告は、少子高齢化で国の借金が膨大になっている日本に、障害者を養う余裕はないといったことを犯行の理由として語っています。
私の同世代でも「どうせ自分たちは年金ももらえないし、どうせ老後はのたれ死ぬことになる」と口にする人が多いんです。そういう人たちは高齢者に「世代的に得をしている」とすごく敵意を持っているし、その矛先がいつ障害者にスライドしてもおかしくないなと思います。
熊谷 批評家で介助者の杉田俊介さんと数年前に対談をさせてもらったときにも、そういう話をしました。もしかするといまの社会では、急速な社会構造の変化によって、「新たに障害者となる人」が大量に生まれているのではないか、ということです。
先ほどお話しした障害の社会モデルでは、障害とは「社会と個人との間のミスマッチが生み出すもの」とされます。それに従えば、いまほど急速に変化している社会においては、社会構造と合わなくなって、定義上「障害者」のカテゴリに入る人が急増しているのではないか。社会が比較的定常的だった時代においては、障害者のカテゴリも定数として安定していたけれども、ここまで大きく社会が変化すると、急速にそれとミスマッチを起こす人たちが生まれてくる。その人たちは、身体的な障害がなかったとしても、社会モデル上は障害者と呼べるのではないか。
その人たちというのは、言い換えれば社会から「不要とされた」人々ということです。彼らは皆、自分の皮膚の内側に障害者として認められるサインを持っていない。潜在的な障害者であるにもかかわらず、自分の皮膚の内側にそれを説明できるものを持たない彼らは、それを代替するようなストーリーを求めてしまうのではないか。どうして急にこんなに苦しくなったのか。どうして自分たちはがんばっても親世代のような生活をできないのか。その理由を探しあぐねるうちに、「あいつらが特権をもっているからだ」というような特定の層への敵意を見いだしてしまう……そういうことなのではないか、と杉田さんと話したのです。


本来なら、私たちのような「従来からの」障害者も、彼らのように「新たに」障害者になった人たちも、社会モデルの定義上は同じ障害者なわけですから、連帯して自分たちを包摂しない社会に変革を求めていくことも可能なはずです。でも、彼らは自分の皮膚の内側に障害者であることを説明できる要因を持たないがために、自分自身でもそれを受け入れられないし、社会にそれを認めさせることもできない。だから、いわば犯人探しに失敗して、高齢者や障害者、貧困層に敵意を向けているのではないか。そんなことを考えました。
雨宮 それ、すごくよくわかります。私たちロスジェネは、まさにその「新たに障害者になった」層という気がします。社会モデル上の。
90年代からフリーターが叩かれはじめて、2000年代にはニートという言葉が登場し、これも叩かれ、若者の意欲がなくなったとか職業意識の問題だとか言われて、さんざん若者バッシングがされましたよね。そこから長い時間が経って、ようやく貧困の問題なんだということが社会の共通認識になったと思うのですが、「自分たちの努力の問題じゃなくて社会の問題なんだ」ということを説明できるようになるまで、10年以上かかったという実感があります。
当時の友人たちの状況を考えても、先が見えない非正規の働き方の中で心を病んでいったり、正社員の過酷な長時間労働の中でうつになったり身体を壊したりしていた。背景には労働の問題があるのに、みんなそれをメンタルの病名でしか説明できなかった。いまから思うと貧困の問題でもあるんですが、病名をつけることによってしか労働市場からの撤退を許されない。だから喉から手が出るほど診断名がほしい、というような、追い込まれた感じをものすごく覚えています。
熊谷 障害者が「うらやましい」とか「恵まれている」といった感覚も、そこから出てくるのかもしれませんね。
杉田俊介さんとも、見えにくい障害の問題と地続きなものとして、マジョリティの当事者研究が必要だという話になりました。もしかすると、従来的な意味での障害者のほうが自分の困難を説明できる語彙を持っていて、マジョリティのほうが自分の苦しさを語る語彙を持たないがゆえに、変なミスリードやおかしなストーリーを信じて、あたかも自分の本音かのように語る陥穽におちいっているのかもしれません。

私たちは「必要性」をもっと語っていい

雨宮 社会保障費が増え続けて、これ以上福祉制度が持たないということはメディア上でもしきりに語られています。それについてはどう考えますか。
熊谷 本当に財源が逼迫しているのかというのを冷静に議論する必要があると思います。
私は経済については不勉強なので多くを語れないですが、ごく原理的に語ると、いまの日本の経済状況はデフレだと言われていますよね。だとすれば、足りないのは供給ではなくて需要のはずです。立岩真也さん(立命館大学教授)も同様のことを発言されていますが、供給が足りていないならば、みんながもっと働いて商品を生産する必要がある。けれども現在、足りていないのは需要なわけですから、それはみんなが「我慢しすぎ」だということではないでしょうか。本来であればもっと需要があるべきところを、みんなが我慢して買わないものだから、経済が回らなくなっている。
非常に素朴かもしれませんが、そういうふうに考えると、いま問題にされるべきは個々人の「生産性」ではないはずです。むしろ個々人の「必要性」をもっと言わなくてはいけない。みんなが我慢して、本当は助けてほしいのに「助けて」と言えないし、本当はもっと生きたいのに「これ以上生きなくていい」と言わされている。本来あるニーズが十分に市場化されていないことが、この間起きている現象のストレートな解釈なのではないかと思うのです。
障害者福祉の分野でも、この十数年、就労支援ということがさかんに言われて、なんとか少しでも働かせようという強迫観念に駆り立てられています。しかし、いまの社会全体を眺めたとき、本当にそんなに全員が無理して働かなくては回らない社会なんだろうか。もちろん働くことに喜びや生きがいを感じられるのも確かですが、そうでない人まで無理して、必要性に蓋をしてまで働かなくてはならないのは本末転倒ではないだろうか。そう思います。
雨宮 とにかく労働者に厳しくして、無理をさせれば生産性が上がるんだというのも、日本特有の信仰に近いような気がしています。
熊谷 必要性と生産性というのは、ひとりの人間に備わった二つの側面ですが、どちらに価値が宿るかといえば、生産性ではなく必要性だと思っています。なぜかといえば、生産性というのは誰かの必要性を満たしたときにのみ二次的に価値が発生するからです。誰のニーズも満たさない生産性にはなんの価値もありません。だから、二つを比較するなら明らかに必要性に優位があるのです。その順序を間違えてはいけない。言い換えれば、つまり「堂々と生きていていい」ということなんですが。
私たちは堂々と自分のニーズを市場化していいのです。この序列は景気の動向に関係なくそうだと言えるのですが、輪をかけて現在の経済の問題がデフレなのだとすれば、もっと強く私たちは必要性の重要さを言っていいはずです。もちろん、社会を運営していくには誰かが働く必要があるわけですが、デフレなのに皆が自分の必要性を押し殺し、ここまで社会の全員が労働に駆り立てられる社会というのは、果たして本来のありかたなのだろうかと感じます。
社会の中の分配の原則を考えた場合、二種類の方向があって、たくさん生産した人に多く分配するのを「貢献原則」、より必要性を持った人に多く分配するのを「必要原則」として、その二つの原則のミックスが国の経済のありかたを決めると考えることができます。貢献原則だけで社会を構成しようとすれば、優生思想に限りなく近づいていきます。私は、先ほど言ったように生産性よりも必要性に優位があると思っているので、必要原則の価値をもっと言っていく必要があると思っています。

この記事はダイジェスト版です。フルバージョンは『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』として、9月下旬に刊行予定です。お楽しみに!


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