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看護学生時代の戴帽式で嗚咽をもらして泣いた件

あんなに情熱的に泣いたのは、後にも先にもあの戴帽式のときだけです。

私が准看護学校に通っていたのは今から約14年ほど前になります。

そんな前のことを思い出したきっかけは、戴帽式の直後に自分が書いたレポートを読んでしまったから。 …

…文章自体は突っ込みどころが満載でしたが、なんというか、あの時の熱い思いが伝わってきました。

そしてこの気持ちは残しておこうと思いnoteに書いてみることにしました。

まず、戴帽式について簡単に説明します。

戴帽式(たいぼうしき)とは


看護学生は実習が始まるタイミングで「戴帽式」があります。
(ナースキャップは廃止となりましたが『戴帽式』は医療現場へ行く前の儀式として今もやっているようですね)

先生にひとりずつナースキャップを被せてもらい、ろうそくの火をナイチンゲールの銅像から受け取ります。

ろうそくだけの灯りのなか、皆で「ナイチンゲール誓詞」を言ったりします。

ナイチンゲール誓詞↓


私は、私の生涯を清く過ごし私の任務を忠実に行うことを、ここに集う人々の面前で、厳かに神に誓います。
私は、どんなものも毒あるもの害あるものは一切絶ち、有害な薬はどんなものも用いることなく、また、知っていながらこれを人に与えることは致しません。
私は、私の任務の標準を維持し、高めることに全力で努めます。私は、任務に当たって私が取り扱った人々の個人的な情報のすべて、職業上知り得た一家の私的事情のすべてを、人に漏らすことは致しません。
私は、誠実に仕事上の医師を助け、私の手に託された人々の幸せのために身を捧げます。

ナイチンゲール誓詞(Nightingale Pledge

なんというか、おごそかな儀式なんです。


「これから私は看護師になるんだ!」と改めて看護学生が決意する場でもあります。

なんでそんなに感動したか

「こんな私が、まさか自分を誇れるような生き方ができるなんて」

…まさにそんな気持ちでした。

戴帽式で感動はしても、みんなが号泣をするわけではありません。准看護学校は年代もバラバラで、ほんとに個性豊かな人たちがいました。看護を目指す理由もそれぞれです。

私は26歳のときに准看護学校へ入学しました。
(その後進学)

あまり詳細は言えませんが、10代から20代前半にかけての私は本能的に生きてきたほうで、それなりにハチャメチャに過ごしていました。

そんな私の「看護師になる」という決断は、それまでのふらふらした人生に、ピシッと1本柱が立ったみたいな感覚でした。

戴帽式のさなか、過去の「ふらふら人生への決別」と、看護師という「尊い仕事への希望」で私の胸の中は熱くメラメラと燃えたぎっていたのです。

看護学生の頃の自分へ


私は今も看護が好きです。

自分が病気になってからは、さらに「尊い仕事だな」と思うようになりました。

もちろん働いているとストレスも多いし、忙しさに追われて「しんどいな」と思うこともあります。

だけど、あなたが嗚咽を漏らして泣くほどに感動した気持ちは、やっぱり間違ってなかったです。

私は看護師になって良かったと今も思っています。


読んでいただきありがとうございました。

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