グルメという食欲のポルノがあるが、おなじように他の欲望も貪欲であってもいいんじゃないの。という話

人間の欲望にはいくつか種類があるけれども、本能に近いとされている中に次の代表的な三種類がある。

A. おいしい食事を食べて楽しみたい
B. お酒を飲んで盛り上がりたい
C. 性的な行為をして快感を得たい

ギャンブルや狩猟を楽しみたいという「ゲームの快感」というのもあるが、それらの欲望のことはここでは除外しておく。

Aのことを私は「食欲のポルノ」と表現している。要するにグルメ趣味のことだ。日本においてはこの食欲のポルノについては恐ろしいほど広く認められていて、おいしい食事を取りたがらないとか食事にたいして興味が無いと言うだけで「そんな貧しい食生活は良くないよ」や「美味しいものを食べようと思わないなんて信じられない」という風に、食欲のポルノに欲望を持つことが当然であると考える人間が比較的多い。

Bはつまり「お酒が好き」ということだが、これはAのグルメ趣味に比べると若干、個人の好みや体質によって好き嫌いが分かれるものとされている。もっとも宴会の場で「体質的にお酒が一滴も飲めないんですよ」とわざわざ断らないといけない人がいるというのも多々あるそうなので、その意味では、お酒が好きであることは万人に当然で、極稀に飲めない人が居てかわいそうだなという捉え方をされているといえる。

Cはずばり性衝動などの欲望で、健康な人間であれば持っていて当然の本能だ。ただ、この欲望だけはAの食欲やBの飲酒と比較すると、欲望を持っていることを隠すように振る舞うことになっている。
たとえば、結婚をして出産をして育児中の妻(母親)が、性的欲望を持っていることをひどく否定したがる傾向すらある。

なぜ食欲のポルノのように、素敵な性行為をしたがらなかったり、性行為にたいして興味が無いと言うだけで「そんな貧しい性生活は良くないよ」や「気持ちのいい性行為をしようと思わないなんて信じられない」と欲望を持つことが当然であると考えないのだろうか? こと食事のことに関してはおせっかいにも「もっといい食事を取ることに気を配らないと」「生活に潤いがなくなるよ」「一生のうち食べられる回数は決まってるんだから、できるだけおいしい物を食べたほうが幸せだよ」と他人を奮い立たせてくるのに。
なぜ、性衝動に関して「わたし、いい性行為をすることに気を配りたい」と貪欲になることを控えようとするのだろうか。

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