公平性はウケないし嫌われるんだが、それを認めたくない人はけっこう多い

若者よりも還暦を超えた爺さん婆さんのほうがクレーマーとして質が悪い人が多いのでは? という雑談じみた話をたまにみかける。
たとえば地方で支店統廃合のために新しくなった銀行窓口で、書類や印鑑などのちょっとした不備で手続きが出来ないという場面があったとして。「じゃあ自宅まで必要な物を取りに帰ってまた来ます」と素直に従うのは若者で。「そんな細かいことを文句つけるな!!」とゴネるのが老人だ……と、いうような展開がテンプレになっている。

話は変わって。囲碁や将棋というゲームがあるのだが。これらゲームは一定のルールのもとにお互いに指す手が決まっていて、どちらのプレイヤーだけが一方的に有利になっていたりはしない。村長さんだから歩が2つ動けるとか、市会議員だから飛車が取られないということは当然無い。(ただし、コマを落としてハンデをつけたり、「待った」で手を戻したりする特別扱いは実際には存在しているけど)

ブログやソーシャルサービスで議論になる時に「この記事では○○を批判しているけど、この筆者自体も同じ理屈で批判されちゃうじゃん」といういわゆるネットスラングで「ブーメラン」という状態がある。批判するんであれば、その人もまた別のことなどで批判されても仕方がないという考え方で。

さて、銀行のゴネる老人も、将棋でやたらと待ったをする人も、ブログで批判を書いてブーメランしているひとも、共通した特徴がひとつ有る。それは「自分だけは許されるが、同じことを他人は許されない」という特別扱いを願っているということ。
これは「お母さん、私だけを見て」という子どものころからの心理の延長線にあるんじゃないか。

さて、たとえばブログでブーメランしている人が「俺は人の悪口は書き散らすが、はてなブックマークでツッコミされるのは嫌なんだよ。そういう人間だから」と公平性なんか知らねーと宣言しているんであれば、個人的にはそれは自由なんじゃないかと思ってる。(同じような公平性なんか知らんって人のはてなブックマークコメントする自由を妨害することは出来ないんだけど。脅迫や殺害予告などの犯罪行為は論外として)

この「公平性なんかどうでもいいが、それを公言するのはバカみたいで嫌だから、年収とか年齢とか知識量とか社会的地位などの上下を持ち出してきて、目上だから特別扱いしろと強弁する」という現象を意識すると、その手の人の非常に行動がわかりやすく成る。

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