推しの韓国デビューと、擦り切れていく心。2022/12/27
〜2021年に解散した韓国のアイドルグループの推しの思い出を綴るnote〜
推しは、新大久保のSHOWBOXで2年間活動していた。
当初は、『プレデビュー公演!』との宣伝文句で、デビューする前のお披露目公演という名目だった。(新大久保ではよくあるパターン)
新大久保アイドルのことなど何も知らなかった私は、もうデビューが決まっていて、その前に少し日本で経験を積むために来たのだと思っていた。
しかしデビューは決まっていたわけではなかった。韓国デビューを目標に、日本で活動しながら経験と資金を貯めるために新大久保で活動を始めたのだ。
私は最初、ほんの数回だけ見に行くつもりだった。
まさか2年間もSHOWBOXへ通い続けるなんて思ってもいなかった
2年間の日本活動を経て、2020年ようやく韓国で正式にデビューすることになった。
折しも世界的なパンデミックが始まった頃。
タイミングは最悪だ。
韓国のアイドルは、デビューする時にファンやマスコミ向けのショーケースを行うことが多い。
いつか推しがデビューする時にはショーケースへ行きたいとずっと思っていたが、日韓の渡航制限によりその願いは叶わなかった。
デビュー当日、ネット記事でマスコミ向けのショーケースの様子が流れた。
期待、喜び、そして不安。
韓国の音楽番組は、国の感染対策により無観客での収録だったし、対面サイン会も開催出来なかった。
無名のアイドルグループが、この状況で活動していけるのか。
サイン会が無ければ、アルバムの売り上げは期待出来ないだろう。
彼らが韓国デビューのために移籍した事務所は、まるでやる気が感じられなかった。
アルバムを売ろうという熱意を全く感じないのだ。
プロモーションに力を入れていたような気配が無い。
サイン会がマイナーアイドルにとってアルバムを売る為の重要なイベントなのだが、他のアイドルのようにオンラインサイン会(ビデオ通話会)に力を入れているわけでもなかった。
もっと日本向けのオンライン特典会を増やした方がアルバムは売れるはずだ。私でもそのくらいわかる。
数が減ったとはいえ、彼らのために数十枚のアルバムを購入するファンは確実にいるのだから。
やる気のある事務所は、イベント会社を通さず自分たちで独自にオンラインサイン会をやっていた
もしかしたら、彼らの事務所には日本語の話せるスタッフがいなかったのかもしれない。
そうなると難しいだろう。。
ほとんど仕事らしい仕事をしている形跡は無いが、彼らのSNSに映る練習室はとても広くて綺麗だったし、ステージ衣装もきちんとスーツで揃えていた。
(普段着のような衣装のグループもたくさんいる)
さすがにミュージックバンクや人気歌謡といった大手の音楽番組には出演出来なかったが、Mカウントダウンやsimply KPOPに出演した。
よほど資金力のある事務所なのだろうか。
設立したばかりの事務所だから、全く情報は無かった。
ただ、目に見える情報の中では、経済的に困難な状況には見えなかった。
事務所に対する不信感や疑問が日に日に大きくなっていたある日、デビューからしばらくして決定的な出来事があった。
それは、日本で活動していた時から歌っている彼らのオリジナル曲の『掛け声』が変更されたのだ。
これは、日本のファンにとってショッキングだった。2年間親しんだ掛け声が変えられてしまった。
(掛け声とは合いの手のようなもの。曲に合わせてファンが決められた掛け声をコールする)
まるで日本での活動を否定されたような、切り捨てられたかのように感じた。
大袈裟に思えるかもしれないが、それほどオリジナル曲の掛け声はファンにとって大切なものだったのだ。
私ももちろんショックが大きかった。
失望の2文字。
ライブを盛り上げるために一生懸命に覚えた掛け声。
ファンが少ない外部のイベントで、恥ずかしさに耐えて大声で叫んだ掛け声。
大切な2年間の思い出だった。
張り詰めた糸が、プツンと切れた。
ああ、、、この事務所は日本向けの活動をする気が無いのかもしれないな、と確信に変わった。
いや正確に言えば、これは事務所の方針なのか、それとも彼ら自身の考えなのかわからないけれど。。
この出来事で、日本のファンはだいぶ去って行ったように思う。
もう日本のファンのことなど眼中に無いんだね、とコメントを書いていた人もいた。
彼らの意思では無いと信じたい。
ただ、日本人より韓国人のファンを優先したい気持ちもわかる。
せっかく付いた韓国人のファンを大切にしたかったのかもしれない。
だけど、一度切れた気持ちの糸は、簡単には元に戻らなかった。
もう、期待することはやめよう。
勝手に期待して、その期待が打ち砕かれて、傷つきたくなかった。
彼らはもう日本で活動していた時とは変わったのだ、と。
私は、それまで生配信は必ず見るようにしていたし、頑張って韓国語でコメントを書いた。
コメント数や視聴者数がアイドルの人気のバロメーターだから、少しでも貢献したかった。
それは自己満足に過ぎない。
それは十分にわかっていたけれど、その思いに応えてくれるんじゃ無いかと勝手に期待していたのだ。
生配信を見ることも次第に少なくなり、コメントもあまり書かなくなった。
彼らが韓国語で生配信を行うことに不満を露わにするファンもいて、執拗に『何か日本語を話して』とコメントを書いていた。
そんな幼稚なファンダムに疲れてもいたし、韓国人のファンのコメントにばかり反応するメンバーたちにも少なからず失望した。
SHOWBOXで活動していたことは、彼らにとって触れられたくない、恥ずかしい過去なのだろうか…
そんな風に悪く考えてしまう自分が情けなかった。
パンデミックは終息の見通しもなく、いつ会えるようになるかもわからない。
もしかしたら、もう日本に来ないかもしれない。
推しのデビューは、私にとって喜びと同時にほろ苦いものとなった。
推しのことを応援したい気持ちは変わらなかったけど、このまま推しを待ち続けることが、いつか辛くなってしまいそうだった。
次第に擦り切れていく心を繋ぎ止めたのは、いつかまたステージの上で歌う推しを見たかったから。
状況が良くなったらきっと日本に来るはずだ。
日本での活動無しに活動を続けていくことは困難なのだから。
推しはもう日本に行きたくないと思っているかもしれない、と疑ってしまう心を隠して、私は物分かりの良い大人のファンを続けた。
メンバーへの不満や疑問の声が、たびたび知り合いからLINEで送られてきたけれど、その度に私は本心を隠して前向きな返信をした。
そんな優等生のような返信をして、ネガティブになる気持ちを抑えた。
みんな不安なんだろうな。。
その気持ちは痛いほどわかるけど、彼らを疑ったところで本当のことなどわからないのだから。
いつか会える日を信じて、私は待ち続けた。
前途多難のスタートを切った推し。
念願の韓国デビューは、厳しいものとなった。
デビュー前の推しとの思い出を綴ってきたnoteだが、デビューから活動終了までの1年2ヶ月の思い出も、これからnoteに綴っていこうと思う。
辛いことも、楽しいことも。
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