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11月11日は皇帝レオポルト2世の日(架空記念日ブログ)

おはようございます。本日は令和5年11月11日(土)お休みの今日は6時に起きて、YouTube動画を見ながら朝食を作り、録画の「千原ジュニアの座王」を見ながら朝食を食べて、ゆっくりとしております。今日は1111となりましたので、まず気になったのは素数かな?と思ったら11と101で割れましたので合成数でした。ちなみに1111のように1が並ぶ数字をレピュニットというそうで、1966年にアルバート・ベイラーが命名、そして今日はレピュニットの日でもあるそうです。そして1が並んだ素数は最小は"11"でその次が"1111111111111111111"と19桁ですが、これらはレピュニット素数とよばれます。

1918年11月11日午前5時コンピエーニュの森の列車で、ドイツと連合軍の休戦協定が結ばれて、1918年11月11日11時に発令されました。毎年11月11日は第一次世界大戦停戦記念日となっています。

「ポッキー&プリッツの日」「チンアナゴの日」「もやしの日」などなど。日本記念日協会によると11月11日現在、11月11日の記念日は63件、10月10日も63件と同数で1位となっています。

ちなみに202年前の1821年11月11日は「罪と罰」「白痴」「悪霊」の作者、ロシアの文豪フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキーの誕生日です。

フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー(1821-1881)

今日の架空記念日は?

233年前の今日

神聖ローマ帝国で皇帝レオポルド2世の戴冠式がありました。この人が何をやったかと言うとヨーロッパで初めて死刑を廃止した人。アメリカの歴史学者で外交史家のポール・シュローダー曰く「王冠を着用した最も機敏で賢明な君主の一人」と絶賛したそうです。

金羊毛のレガリアをまとった皇帝レオポルト2世
ヨハン・ダニエル・ドナト(1744-1830)

レオポルト2世という人

1747年5月5日実質的な権力者、女帝マリア・テレジアとその夫皇帝フランツ1世の間に生まれる。兄に皇帝ヨーゼフ2世、妹にマリー・アントワネットがいる。1765年に父フランツ1世が亡くなると長兄のヨーゼフ2世が皇帝位を継承しマリア・テレジアとの共同統治となった。一方、トスカーナ大公国はフランツが君主をしていて、次兄のカール・ヨーゼフが継承する予定だったが、1761年に早世していた為、代わりにレオポルトが大公位を継承した。

トスカーナ大公時代

レオポルトが幼少だった為、マリア・テレジアの摂政が続いたが1770年に摂政が終わると、啓蒙的改革を行なった。チェザーレ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』の死刑廃止論に影響を受けて、1769年に死刑の執行を停止。1786年ヨーロッパで初めて死刑を廃止した。トスカーナには陸軍が無く、海軍もメディチ家時代(1569年頃)以来の小さな軍しか無かったが、レオポルトはさらにそれを縮小して、税率低減の財源に当てた。さらに種痘(予防接種)の制度化、1774年には精神障害者を病院に入れる法を制定した。レオポルトのトスカーナの統治は25年にも及んだ。

『オーストリアのマリア・テレジア』
マルティン・ファン・メイテンス(1695-1770)

神聖ローマ帝国皇帝

1790年兄ヨーゼフが死去した。ヨーゼフには嗣子がいなかった為、レオポルトが帝位を継いだ。その際に長男のフランツを帝位継承者とし、トスカーナ大公を次男のフェルディナンド3世に継承した。 

『図書館に座るオーストリア大公兼トスカーナ大公フェルディナンド3世』ヨーゼフ・ドルフマイスター(1764-1806)

兄ヨーゼフは貴族や教会の弱体化を図りながら富国強兵、王権強化を目指していたが、やり方が強引だっ為、共同統治の母マリア・テレジアと度々衝突し、行った改革案は悉く抵抗勢力に阻まれ、国は混乱していた。レオポルトは兄の改革の中で革新的とされた農奴制廃止令を撤回し、賦役(特定階級の人を公共の労働力として無償で働かせる事)を復活させるなど、反動政策(時代に逆行する政策)を行った。

皇帝と音楽

レオポルトはヨーゼフの宮廷詩人だったダ・ポンテを追放し、『皇帝ティートの慈悲』(オペラ・ブッファ)を作曲したオーストリアの音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとイタリアの作曲家アントニオ・サリエリを冷遇した。その代わりにイタリアの作曲家ドメニコ・チマローザを優遇し『秘密の結婚』(オペラ・ブッファ)を作曲させている。

『ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの肖像』
バーバラ・クラフト(1764-1825)

フランス革命

マリー・アントワネットフランス国王ルイ16世に嫁いでいた。革命勢力が強大化していく中で1791年6月20日ヴァレンヌ国王一家逃亡事件が起きた。ルイ16世マリー・アントワネットの一家がオーストリアへ逃亡を図り、東部国境に近いヴァレンヌで発見されたパリは連れ戻されたという事件。妹マリー・アントワネットの身を案じたレオポルトはその時脱出に成功したルイ16世の弟アルトワ伯爵(後のフランス国王シャルル10世)を介して、1791年8月27日にプロセイン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と共にピルニッツ宣言(ピルニッツ城で結んだ軍事同盟)を行った。この宣言によりフランスの革命派やも亡命貴族達には、後顧の憂いが無くなったのでフランスに攻め込んで来るのでは?と勘違いさせ、フランス革命戦争が起きるきっかけになってしまいました。

『薔薇を持つマリー・アントワネット』
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)

神聖ローマ帝国の消滅

1792年3月1日在位わずか2年目でレオポルトは死去しました。帝位は長男のフランツ2世が継承しました。翌年1793年ルイ16世マリー・アントワネットは処刑されます。1803年から始まったナポレオン戦争に巻き込まれたフランツ2世は1805年12月2日アウステルリッツの戦いナポレオン・ボナパルトに惨敗し「ローマ皇帝」の称号を自ら放棄して、神聖ローマ帝国は消滅しました。

『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト・ナポレオン』
ジャック=ルイ・ダビィッド(1748-1825)

まとめ

トスカーナ時代とたった2年の皇帝時代で真逆の事をしてるのがとても不思議ですよね。死刑ダメって言ってた人が奴隷は許すってのがね。なんにせよマリー・アントワネットやモーツァルト、サリエリ、そして最後のナポレオン、知ってる人が出てくると「ここで出てくるのか〜」って勝手に興奮してます。これだから知らない人の生涯を追いかけるのは辞められません。

今日のさわだくん

111日チャレンジ34日目

アイノカタチ/MISIA feat.HIDE(GReeeeN)

2018年8月22日リリース、MISIA35作目のシングル曲、GReeeeNのHIDEとのコラボ楽曲となっています。TBSテレビ火曜ドラマ『義母と娘のブルース』の主題歌

あとがき

さて長くなってしまいましたが、午前中は酒屋行った後にシャトレーゼに寄りました。ケーキと生ワインを買ったのですが、レジの順番になった途端、レジが青い画面になったそうで、中から上司であろう人が「これあかんやつや」って呟いててスマホで電話し始めました。

レジの女の人が申し訳無さそうに「今のうちにワイン詰めちゃいますね」って、生ワインは目の前で詰めてもらえるんだけど、空の瓶を注ぎ口に持っていって、レバー倒したら「プシュー、ズババ」って音。

「すみませーん、ワインの樽が空になりました、私、交換の仕方わからないです」って奥に叫んでて、飛んだトラブルメーカーになってしまいました。
長い待ち時間の後レジが終わって後ろ振り向いたら、店にいた人が全員後ろに並んでこっちを見ていたので、そそくさと帰ってきました。

これが食べれたからよしとするか・・・

それでは、また明日。