見出し画像

岡村孝子が大スターになれるという豪語

先日、 #岡村孝子 さんの #急性白血病 になった報道を知った長く応援していた私はあまりにも衝撃的だった。

関連した報道の一部に、 #骨髄移植 をしたとしても年齢的には死期を早めると書かれていたことから、もう2度と会えないだろうという覚悟をしている。

何故ならば、

#西城秀樹 さんのような応援歌と呼ばれる歌が爆発的なセールスをあげて大スターになれた

#尾崎豊 さんのような若者の教祖と呼ばれるようなキャッチフレーズが付けられていた

ことからデビューからあまり経過せずに若いうちに稼いでも、高齢を迎えられずに亡くなる図式に当てはまりそうな感がする。

また、離婚、亡くなられたお父様の借金の連帯保証人や #シングルマザー という不遇な時期を経験されたことで急転したということから、ヒデキさんの脳梗塞発症や尾崎さんの逮捕という悲劇も共通したルートを辿っていると思う。

ーーーーーーーーーーーーー

岡村さんを知ったのは1982年の #あみん としてデビューし、 「 #待つわ 」が大ヒットした時点で、同時期デビューの #中森明菜 さんと互角でやれそうだと感じた。

明菜さんを含めた #花の82年組 を打破したぐらいのレベルであり、 #新人賞レース にノミネートされていたものの、辞退されたという話を今でも覚えている。

翌年に一旦芸能界を離れてから2年後に雑誌でソロデビューをしたという記事を見てから、ラテ欄で岡村さんが出演する番組等を頻繁にチェックした。

その当時は #バンドブーム でかつ、 #ロック 全盛期であり、それとかけ離れた曲調が地味で目立たなかったのは勿論、中学・高校の友人達に

根暗


顔がおかめ納豆のパッケージのような老け顔


であるという理由で絶対に売れるわけがないと罵られた。

私は

「待つわ」で稼いだぐらいだからソロでも明菜さん並みに売れるだろう

と反論したら、翌年の #レコ大 でノミネートされたと知り、勝ち誇ったような表情をした。

勝因はソロデビュー当時はあみん時代に書き溜めたものを音源化されたことから #中島みゆき さん並みの暗さが押し出されていることから決めつけられていたものの、2作目からは時代の流れに追いつけずに曲作りに苦慮していた程

脱あみん

を目指した曲があったのではないかと考えられる。

岡村さんが目指していたのは憧れの #さだまさし さんの作風だが、当時はそれでやっていけないことから若干ノリがいいものがなければ生き残れないと予測していた。

決め手となったのは、「 #夢をあきらめないで 」が収録されたアルバム「 liberté」にそのような曲が数曲交えた作戦らしきものが功を奏していたのではないか。

「夢をあきあきらめないで」は当時さほど売れていなかったものの、長期的な面で稼げると予想をしたお陰で、それ以後に出現した芸能人や友人・知人を分析して見破れることができる力が身に付くことが出来たのではないかと我ながら思っている。





只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。