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8月31日の夜から9月1日の朝にかけて

#8月31日の夜に  

学生達の夏休みの最終日もあって、翌日の9月1日に嫌な友達と再会する憂鬱さが募ることから #自殺率 が高いと言う説があると言われている。

そんな私の10代も同様な経験をしており、

仲良くしてくれている友達の再会を期待していたどころか、二学期の始業式に起きたトラブルが機で、大切な学校生活をダメにした悲しい思い出を送ったことがあった。

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ラジオ体操でのやり取り

1983年の小6だった12歳の時に、夏休みの最終週に行われる #ラジオ体操 で6年生が前に出てやることになり、同じクラスだった友人のひとりの側に行ったら、

前にも言ったでしょ、自分から友達を作らなきゃダメだって。

と言われ、

クラスで仲良くしているのにどうしてこんなことを言われなくちゃいけないのだろうか

と言う思いに駆られて泣いてしまった。

帰宅してからその言葉が離れられずに一夜を過ごし、

明日どのような顔して登校をすればいいのか思い悩んだ。

翌日、一緒に帰宅するメンバーらに挨拶をしたら

何も理由がわからないまま無視されてしまい、休み時間に一緒に遊ぶことが出来ずに #ぼっち 状態となった。

その後、一緒に帰るメンバーで交換日記をやっていたが、私を外そうと言う案に先述の彼女が真っ先に賛成したということを聞かされたことは勿論、別のメンバーから、

その2年前に知り合い、高校で再会した友人が酷い #いじめ を受けている私を見て、本当は仲良くしたくなかったものの、可哀想だから守ってあげたという事実を語られた

ことから

本当の友人の定義を疑うようになった。

同じグループで行動しても

あまり好きじゃないという人がいるのは現実であり、寂しさを紛らわせる為が目的ではない

ことを教えられた。

高校で再会した友人に依存していると思われたことで受け身で消極的な性格を直して強くなって欲しいという一言で、

完全に居場所を失くしたのと同時に友達としてはお断りという意味を示された。

前述の彼女は同じ中学に通うことになり、卒業文集で自分から声をかけて友達作りをする方であると語っており、

タイプが正反対である私に対して価値観を押し付けられたという感から友人関係の歯車が狂い出したと回想している。

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喜びの束の間な悲劇

中1のと8月31日の夜に、当時通っていた書道教室の講師から、市内の書道展に出展した作品が上位入賞されたという連絡が来たことによって有頂天になった私は、公民館に展示されているから見に来て欲しいと言い、当時の友人2人と約束をした。

その友達と会いに行こうとした私は家族に止められてしまったことで口論となってしまい、

家族と面識がない友達を悪く言うのをやめて欲しいという反論をしたものの、彼女達と会うことが出来なかった。

経緯はすでに執筆した2記事の通りであり、面会をさせなかった家族の側に立つと、

一学期は緊張のあまり猫を被っていたのが、長い夏休みの間にその糸がプツリと切れて、二学期になると本性が現れて牙を剥くことで非行に走ってしまう

という先回りをされたと思う。

中学に入学してから初めて出来た友達と遊べる感激が表出されたことによるトラブルであり、私の目で彼女達の本性を確かめることが出来なかったようなものだった。

家族によって #ドタキャン せざるを得なかった 私に

その要因で簡単に許されるものでなく、ひとりとしての人間がした発言に対して責任を持って欲しい

という言い分はごもっともである。

家族を関与せずに遊びに行くことが皆無だった私は

第三の関係を築こうとしている当事者同士で起きるトラブルの処理が不十分であることや、人を見抜く能力がない

と家族に判断されてしまったことで成人するまで友人同士と遊びに行くことが出来なかった。

そのまま行ってしまったら、後に生死を分けるような #いじめ  に加担した連中と同様なことをすると読まれたことが的中されてしまったことで孤独な中学時代を過ごすようになった。

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お盆休み明けのサラリーマンと同じ原理

在職中の出勤前に実母から、

休み明けは本来の仕事のペースに戻し辛く、それによるストレスで人間関係にトラブルが生じやすい

と見送られたことがあった。

因みに私の場合は、毎日のように学校主催の水泳授業や、現在のジムに併設されているスイミングスクールと塾通い、部活に明け暮れたせいか、現在でいう10代の中だるみに当てはまる #非行行為 となるような経験がなかった。

学校や職場という管理された緊張感から解放され、危険なことに手を出してしまうのはこの時期であり、

それが終わったことによる憂鬱が周りの人達が不機嫌に見えるのもその要因からである。

人格形成期に心身の不安定になりやすく、形かのない悲鳴によってトラブルの起こし会いによって不協和音が起きやすい。

生活レベルが完全に休日モードの状態のままで出勤し、最悪出勤後に叱責されると関係が崩壊してしまうレベルに至る対応してしまう等をしてしまった経験があったことから、

10代特有の生き辛さに似た感覚であるということを感じた。

10代の子達も普通のサラリーマンと同様な生活に戻すことを理解していても、

それに対応しなければ人生失格という烙印を押されてしまうという焦りから追いつけないということが理解できる。

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夏休みという長い休みから、

嫌なことがら解放できる喜びが続いたことにやる慣れで、一学期の間に我慢したいものの反動で牙の剥き合いで負けてしまうことから8月31日の悲劇の始まりといわれている。

それによる裏切りも該当しており、家族に人間関係に関するトラブルで叱責されたことはほぼ合っており、

10代のうちから人を見る目がなかった私が陥りやすい罠であるということを教えられた。







只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。