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プレゼントは心を繋げるものではない

2013年頃に #Facebook を始めてから #職場いじめ#ハラスメント で孤立している苦痛から紛らわせる為に疎遠になった友人達との交流を再開した。

その影響でリアルな関係での

絆となる心の交流ができているのか

という確認行為から自然な形で差し入れ等を渡したりしたことから

恩着せがましい

という拒否されて、厚意を無駄にされたという怒りと悲しみでいっぱいだった。

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1.誕生日プレゼントやバレンタインデーが始まり

学生時代を含めた若い頃は自分が好きな人に対して

好意

の証として、物で #プレゼント を贈る風習があったが、愛情の度数を確認しながら関係性の深さを作っていた。

その習慣が迷惑行為であることを普段感情を露わにしない子持ちの友人に激怒されたショックを受け、

そういう態度をされるぐらいだったら最初からしない方が良かった

と後悔している。

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2.芸能人のイベントでプレゼントするようになったのが発端だった

32歳の頃に #左遷 及び #閑職 による #暇ストレス が原因で、普段行くことがない芸能人のイベントに行くようになり、常連のファンがプレゼントや金一封、花束をあげる光景を目にし、心優しい親友と同伴した時に必ず芸能人に花束を買ってあげようと決めたほどだった。

私は握手と不要だから歌を聴いてそのまま帰るというスタンスで考えていたが、友人もリアルな友人の少なさを自覚したことから、

普段会うこともない人との距離を縮めたい

という欲求はあったかもしれない。

わずかな時間でも触れ合いたいという思いは誰にでもあることであるが、

芸能人の奪い合い合戦よる衝突が多発していることからプレゼントを贈ることを禁止する事態に陥っている。

芸能人本人としてはそれが目的で仕事をしていないということを理解してなかった当時の私は

仕事しに行く為に現れただけで、自己満足のために来た多人数の人の満足した顔を見る暇がない

ということを学んだ。

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3.お土産の差し入れは長期間不在にしていて申し訳ないという意味の不理解

雇い止めにあった職場は #有給休暇 を取得しやすく、旅行や帰省する社員が多く、その機会が皆無な私もそうしなければ悪いなと思った時期があった。

初職で旅行に行く為に休暇を取得する度に、

長期間不在によって穴を開けた分申し訳ないと思いながら #お土産 を買って欲しい

と教えられたほどだった。

3時のお茶飲み話で旅行のエピソード等で盛り上がっているものの、自分から旅行に行ってお土産を配りながら話の輪に入るような #世渡り がの必要があるのかと自問した。

辞める2年前に会議室でそれぞれ差し入れを持ち合う飲み会に参加する前日に、幹事に当たる社員に

差し入れ持ってくるね!

と言ったら、

自分の意思でするものだ

と恩着せがましいという対応をされ、自分の厚意を踏みにじられた。

それだったら

お礼の一言だけすれば角が立たなかった

筈だと嘆きたくなったものの、仕事中に歩み寄る行為をしない私が不自然な行動をしたことを訝しまれただろう。

長年いた職場で孤独感に陥った私としては家族以外で理解される人がおらず、制限された関係でうまくやっていかなければならない寂しさが募ったかもしれなかった。

その件で目の前で否定的な対応をする人は先述の子持ちの友人だけでなかったことから、

迷惑

という言葉が浮かび上がった。

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それ以前に #長山洋子 さんのファンの方と文通経験があり、ゴミに近い不要なものを送られ、やめて欲しいと言ったことで断られたことを思い出し、

善意がある行為をすることによる承認欲求

で他人を苦しめていたことを知り、 #毒親 による #モラルハラスメント#職場いじめ による生きづらさのSOSを送っていた。

そのようなことがなければ滅多にしないものの、

人との繋がりを失ってしまうことを恐れてした心の弱さ

が原因だった。

物理的に繋がりを保とうとしてプレゼントするといった厚意的なことをすると、受け取り方によって

相手のことを考えずにあげた時の表情を見たくてしたという反論をされ、拘束している

ということを理解しないままやり取りをしていたら

人間関係の崩壊

に至ってしまう。


#プレゼントハラスメント



只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。