表現活動は気持ち次第

昨日のnoteをLINE経由で読んだ高校時代の友人にブログには長文は不要、助詞の使い方が間違えていると指摘された。

確かに彼女は名門短大の国文学科を卒業した程の優等生であり、彼女より国語の成績が悪かったのは事実であり、話下手であることから表現活動を断念しようと考えていた。

部活は勿論、クラスが同じだったことから行動を共にし、勉強方法等でダメ出しをされたことが多々あり、自分のやり方で成功させたいという反発心があった。

要領が良い彼女に嫉妬した反面、私のやり方が悪いというより理解する早さが遅いことに気づいた。

きっかけは学習雑誌でドラえもんの秘密道具のアイディアを公募するという告知を知り、貧困生活に近い環境に強いられた為に便利なものが欲しいと何度も投稿しても採用されなかった悔しさによるコンプレックスがあったことで見返してやりたかったから。

初めて採用されたのは高校時代によく聴いた岡村孝子さんのラジオ番組に友人が間接的に岡村さんをいじった話を葉書で投稿したことから始まり、今はなきバンダイから発刊された「B-CULB」の戦隊キャラのイラストや夕刊フジの藤子・F・不二雄(藤本弘)氏の追悼記事、週刊金曜日、走れ歌謡曲等の演歌関係メディア等に複数回に採用歴に至る。

1996年に亡くなった藤本 氏の追悼記事を夕刊フジに投稿して採用されたことを当時の実姉の上司から連絡があった時に優秀な血縁関係で育った割りにはダメ出しをされてやり直させられたほど落ちこぼれである私がそんなことしても良かったのかと思ったこともあった。

内容はともかく、書いたことが殆ど修正されていたことに気付き、採用されただけ良かったと思えるようになった。

初職の退職を経て前職に転職後、幼少から憧れていたイラストレーターになりたい夢があると友人に話したことがあり、手書きよりもパソコンが主流だから一般事務上がりの私には不向きだと言われたものの、その5年後に委託元から未経験だったグラフィックソフトを使用した図面作成を依頼され、その割りにはきれいな仕上がりだったと評価されたことがある。

叉、走れ歌謡曲に数回メール投稿されたことがあったことがきっかけで当時のパーソナリティーをはじめとした歌手や演歌ファンから声を掛けられたこともあった。

恵まれなかった人間関係のストレスから解放されたこともあって、将来的には好きなことで企画力を生かした仕事に就きたいと考えるようになったことを知った両親は勿論、前職の一部の社員から自分の考えを支持する人がいても反対意見をする人が必ずいると忠告された。

全員がそうでなくても1人だけでも理解してくれる人がいればそれで良いと思っている。

表現の自由がある以上、いい加減な考えをしてくる人が多いが、良心にしたがって責任を取れる範囲でするのは構わない。

但し、質問されてもいい加減な回答とかはすることはせずにやれる範囲のみで表現をしているだけであると伝えたい。

只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。